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中条志穂「イチ推しフランス映画」

パルム・ドールを受賞した、緊密きわまる構成の法廷サスペンス劇『落下の解剖学』

映画『落下の解剖学』


© LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE

監督:ジュスティーヌ・トリエ Justine Triet
出演:サンドラ/ザンドラ・ヒュラー Sandra Hüller
ヴァンサン/スワン・アルロー Swann Arlaud
ダニエル/ミロ・マシャド・グラネール Milo Machado-Graner

2月23日(金・祝)よりTOHOシネマズ シャンテ他全国順次ロードショー
配給:ギャガ

 昨年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)を受賞した、緊密きわまる構成の法廷サスペンス劇である。監督のジュスティーヌ・トリエは、本作でパルム・ドール史上3人目の女性受賞者となった。
 ヒロイン、サンドラはベストセラー作家。その夫サミュエルが雪山の山荘で転落死する。発見したのは視覚障害のある11歳の息子ダニエル。当初、事故と思われていたが、他殺の可能性が出てくる。そして、事件が起こったとき昼寝中だったサンドラに夫の殺人容疑がかかる。彼女とかつて交流のあった弁護士ヴァンサンはこの裁判を引き受け、勝訴するためには事故ではなく転落自殺であると主張すべきだと彼女を説得する。だが裁判が進むなか、亡き夫がひそかに録音した、夫婦の激しい口論の音声が暴露され、サンドラの立場が不利になってゆく。はたして転落は事故か自殺か、それとも他殺なのか……? 夫婦や肉親の愛情、そしてその信頼が大きく揺らぐ恐怖、さらにそれまで信じていた世界が一瞬にして覆されるような不安を突き付ける作品である。本作でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたザンドラ・ヒュラーの中性的な挙措や謎めいた無表情が、ヒロインの複雑な人間性を見事に表現している。脚本はトリエと、そのパートナーで映画監督のアルチュール・アラリが共同執筆している。

【シネマひとりごと】
 本作は、落下してくるテニスボールをヒロインの飼い犬が咥える場面から始まる。この犬がひどく芸達者で、どうやって指導したのか、白目をむいて嘔吐する演技(?)には本当に驚かされる。犬の名演に贈られるカンヌ映画祭のパルム・ドッグ賞を受賞したのは当然の結果と言えるだろう。法廷で少年が証言をするラストの場面でも、この犬が裁判の行方に関わる重要なカギとなっている。
 法廷場面がメインである本作は、ミステリー好きの観客の興味を存分に引く展開にはなっている。だが、実のところ犯人捜しが主たるテーマではない。ヒロインは仕事のできる有名な小説家で、中性的な容姿のバイセクシュアル。一方、夫は、家事や息子の世話をするが、仕事はうまくいかず、浮気をする妻に嫉妬心を抱いている。こうした性的立場の逆転がいかなる事態を招くのか、そして、それが現在の法廷ではどう裁かれるのかが重要な主題なのである。そのうえ、夫は劇中、落下死体以外ではフラッシュバックの中にしか出てこないという皮肉な描かれ方をしている。さらにヒロインを助ける弁護士を演じたのは、これまた非男性的な魅力をふりまく42歳のロマンスグレー(古い?)の俳優スワン・アルロー。アルローの性を超えた色気が印象的過ぎて、ヒロインよりヒロインらしい存在感を放ち(*個人の意見です)目が離せなかった。しかもこの弁護士、どういう関係なのか、依頼人であるヒロインの家でパスタ料理までささっと作って出す、自然に見えるのが逆に不自然な女子力さえ発揮していた。男女の立場を変えてみたら、この世の中はどんな風に見えてくるのか? 単なる犯人捜しで終わらない、人間の意識の深層へ踏み込んだ描写に、パルム・ドールを受賞した所以があるのかもしれない。

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著者略歴

  1. 中条志穂(ちゅうじょう・しほ)

    翻訳家。共訳書コクトー『恐るべき子供たち』、ジッド『狭き門』

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