第3回 アイヌ語編
Merhaba! 白水社語学書編集部の(鷲)です。
「語学書編集部員がニューエクスプレスプラス1ヶ月でやってみた」も今回で3回目を迎えました。そして、3回目にしてすでに前回の月末更新を守れませんでした。今まで著者に締め切りを守るよう催促していた立場だったのに、これではメンツが立ちません。楽しみにしてくださっていた方(おられるのであれば……)、お待たせしてしまいすみませんでした。
さて、そんな開幕反省スタートの第3回目の挑戦言語は……
アイヌ語!!!
第2回のアイルランド語から、また随分と違う言語に挑戦することとなりました。
アイヌ語は日本の先住民族アイヌのことばで、主に北海道とその周辺で話されてきましたが、日本語とはまったく異なる言語で、他の言語とも系統関係がはっきりしていません。しかし、アイヌ語話者と日本語話者は古くから様々な交流をしてきたこともあり、日本語にはトナカイ・ラッコ・コンブなどのアイヌ語の語彙が、そしてアイヌ語にはトゥキ(杯)・マチヤ(町)・ヤク(役・役目)などの日本語の語彙が借用されているそうです。
大ヒット漫画『ゴールデンカムイ』で取り上げられたことで、一躍人気に火が付いたアイヌ語とアイヌ文化。本書の著者の中川裕先生は、作中のアイヌ語の監修もされたアイヌ語研究の第一人者でおられます。
実は私も漫画を読破した身ですので、アイヌ語を全く知らないというわけではありません。しかし、作中で登場した印象深い単語や表現しか覚えていないので、「オソマ、ヒンナヒンナ」という有識者ならわかる最悪のフレーズしか作ることができません。「ありがとう」など基本的な表現も知らないので、ほとんど知識はゼロに近いです。こうなればいっそ一からしっかり学んで、アイヌ文化にもしっかり浸りたいと思います。
ちなみに、アイヌ語はもともと文字で表記する習慣がなかったのですが、近年様々な表記法で書かれるようになり、本書ではカナ表記とローマ字表記を採用しています。本記事ではカナ表記をメインに、必要に応じてローマ字表記も混ぜながらアイヌ語を紹介します。
それでは1ヶ月でどこまで習得できたのか……? ピㇼカノ ヌカㇻ ヤン!(よく見ててちょうだい!)
1日目 第1課 5月12日(月)
ハポ! タンペ プクサ ネ ヤ?
お母さん! これはギョウジャニンニク?
開幕一番のフレーズです。入門書の第1課だから「こんにちは! お元気ですか?」的なフレーズを学ぶだろうと思っていたら大間違いです。山菜ハントのシーンから始まります。
プクサキナ(ニリンソウ)と猛毒のスㇽク(トリカブト)は、葉の形が似ているので要注意というライフハックを学びました。なんだか1冊読み終わる頃には語学的な知識よりも、アイヌの人々の生きる知恵の方が身につきそうです。
2日目 第2課 5月13日(火)
トアンタ ポロ チカㇷ゚ アン。
あそこに 大きな 鳥 いる。
アイヌ語の基本語順を学びました。一部の例外を除いてほとんど日本語と同じで、とてもわかりやすいです。
発音も内破音など日本語には無いものもありますが、そこまで難しいというわけではないので、会話も聞き取りも日本語母語話者にはとっつきやすいでしょうか。小書きのカナ表記は閉音節を表します(チカㇷ゚=cikap)。
アイヌ文化を知るうえで欠かせない「カムイ」についてもしっかり説明があります。単なる日本語の「神」に対応する概念ではなく、アイヌ(人間)とともに意志をもってこの世で何らかの役割を果たすものすべてのことを指すそうです。動植物に限らず、自然現象や家・船など人為的なものもカムイなのだとか。
ちなみに「カムイ」のアクセントは「ム」にあります。今までずっと「カ」に置いていました……。
3日目 第3課 5月14日(水)
フナㇰ ワ エエㇰ? どこから来たの?
トーキョー ワ ケㇰ。 東京から来ました。
アイヌ語の動詞は、人称接辞をつけて誰の行為かを常に明示する必要があります。「私が」ならku(母音の前ならk)を、「君が」ならeを動詞の前につけます。エㇰ(ek)「来る」の場合なら、ケㇰ(k=ek)、エエㇰ(e=ek)という具合です。
主語を省略してもよい日本語とはまた違う特長ですね。
4日目 第4課 5月15日(木)
エレヘ(e=rehe) マカナㇰ アン? あなたのお名前は?
〇〇 セコㇿ クレヘ(ku=rehe) アン。 私の名前は〇〇です。
所有の表現を学びました。先ほど見た人称接辞を所有の表現でも用います。しかし、所有の対象が譲渡可能かどうかにより、微妙に表現が異なります。人に譲り渡すことのできる犬や家、船は動詞コㇿ「持つ」を用います。
クコㇿ セタ ku=kor seta 私の犬
犬好きとしては犬を譲渡する気にはならないのですが……こればかりは文法に従うしかありません。
5日目 第5課 5月16日(金)
アイヌ語の動詞は現在と過去を形の上で区別しないので、「来る」も「来た」も同じ形です。文脈から判断することになりますが、時制による複雑な活用を覚えなくてよいだけ楽でしょうか。
さらには形容詞という品詞も立てない言語なので、ピㇼカという語は「美しい」という形容詞的な意味ながらも、動詞扱いです。なので、「美しくなる、治る」という意味もあるのだとか。形容詞と動詞が一緒だなんて、なんだか新鮮で面白いです。
地理的な近さから、結局は日本語と多少は似ているだろうと思っていたら、実際は随分似ていません。化けの皮が剥がれてきましたね。
6日目 第6課 5月19日(月)
アイヌ語では主語しかとらない動詞と、主語+目的語をとる動詞をしっかり区別する必要があります。ペライ「釣りをする」は主語しかとらない動詞なので、「魚(チェプ)を釣った」ことを「チェプ ペライ」と言ってしまうと、「魚が釣りをした」というシュールな画が完成してしまうそうです。なんだかさっきから動詞の振舞いが独特ですね。複雑な活用がない代わりに、数をたくさん覚える必要があるのかもしれません……。
7日目 第7課 5月20日(火)
アイヌ語の名詞には単複の区別はありません。しかし、主語だけをとる動詞には単複を区別するものがあります。そして、もちろんそれは日常的によく使うものです。さっきから動詞がしつこい。
「ある・いる」の単数はアン、複数はオカ。「行く」もそれぞれアㇻパ、パイェとなるなど、かなり形の違うものも多いので、なかなか覚えるのが大変です。
スキットは「カムイ」だけでそれを表すことができる山の神、クマの話題です。かつてのアイヌの人々がとったクマ遭遇時の対処法がなかなかにシュールで面白いです。近年北海道で猛威を振るうクマ。ぜひ本書で確認して、クマエンカウンター時に自己責任でトライしてみてください。
8日目 第8課 5月21日(水)
アイヌ語には「4人称」なるものがあるようです。私、あなた、彼・彼女とその複数以外に何があるんだ……と面喰いましたが、1・2・3人称のいずれにもあてはまらない、「一般に人は」という不定人称を表す用です。また、「話し手を含む私たち」も意味するなど、とにかく1~3人称に当てはまらないものを十把ひとからげにした感じです。フランス語だと「不定代名詞のon」などと言われますが、「4人称」の方が奥義っぽくて圧倒的にかっこいいです。
9日目 第9課 5月22日(木)
クユポ! クサポ! シノタン ロ! ku=yupo! ku=sapo! sinot=an ro!
お兄ちゃん! お姉ちゃん! 遊ぼう!
兄弟姉妹を表す言葉を学びました。「わが兄よ」という感じで、ク ku=「私の」をつけることで呼びかけられます。ちなみにアイヌ語ではクマタキ! ku=mataki!「妹!」のように、年下にも親族名称で呼びかけることができます。
なぜ日本語では「弟ちゃん!」「妹ちゃん!」のような呼びかけができないのか、よくよく考えれば疑問ですね。
10日目 第10課 5月23日(金)
動詞「切る」にはトゥイェtuyeとトゥイパtuypaがあるのですが、前者は切る対象が一つ、あるいは一度だけ切る場合の単数形、後者は切る対象がたくさん、あるいは何度も切る場合の複数形となります。私が今まで学んだ言語の多くは名詞の方を単数・複数で区別していたので、動詞で区別するというのはアヴァンギャルドに感じてしまいます。
動詞もどんどん複雑になってきた10日目。いよいよ今回も残すは半分です。
11日目 第11課 5月26日(月)
二人称の目的格人称接辞は主格人称接辞と同じという事実が発覚しました。
フンナ エヌレ? hunna e=nure? (フンナ…誰 ヌレ…~に~を聞かせる)
上の例文だと、動詞ヌレnureについたエeが「あなた」を意味するのですが、これが「あなたが」も「あなたを」も意味するという感じです。「あなたが誰に聞かせたのか?」か「誰があなたに聞かせたのか」のどちらの意味になるかは、文脈に依存するそうです。アイヌ社会ではぼーっと話を聞いていると置いていかれそう。常に人称を意識する必要がありそうです。
12日目 第12課 5月27日(火)
この課のスキットの題は「私たちはあの世の入り口を探している」。ホラー回です。「アフンルパㇻ(=あの世の入り口)」という、死者の霊が通りあの世へと通じる道が話題となります。
このアフンルパㇻ、どうやら犬だけには「見える」らしく、犬が何もないところに向かって吠えていたら……そういうことだそうです。ちなみにアイヌ語で犬の鳴き声は「ミㇰミㇰ」。猫は「ヤウヤウ」。どうでもいいのですが、私が中学生くらいのときに"The Fox (What Does the Fox Say?)"というミーム的な歌が流行っていました。アイヌ語でキツネの鳴き声は……「パウパウ」。
13日目 第13課 5月28日(水)
ソンノ アㇱカイ ルウェ! 本当に上手だねぇ!
感嘆の表現を学びました。実際に目で見たことについて感嘆の気持ちを表すには「ルウェ」を語末につけます。
アイヌ語には日本語の「~よ」「~ぞ」などにあたる終助詞もたくさんあって、使い方などは結構似ている気がします。音源で実際に話されているのを聞くと、「ルウェ~」とか「ネ~」という感じで伸びるので、めちゃくちゃかわいくて癒されます。
14日目 第14課 5月29日(木)
アイヌ語特有の4人称。前に紹介した「一般の人」だけでなく、「2人称の敬称」も表すことができるそうです。管理職レベルであらゆる仕事を押し付けられていますが、大丈夫なのでしょうか。動詞は敬称の場合、相手が一人でも複数形を用います。複数形で丁寧なニュアンスを表せるという発想は、多くの印欧語にも通じる発想ですが、一体どこから湧いてくるのでしょうか?
15日目 第15課 5月30日(金)
「位置名詞」と呼ばれるものを学びました。「~の上」「~の後」などの位置関係を表すものなのですが、場所に関する表現には私の能力では簡潔にまとめられない細かいルールがありますので、詳しくは本書をお買い求めください。
アイヌ語歴15日目ですが、この位置名詞の攻略がアイヌ語マスターのカギなのでは、と睨んでいます。北海道に点在するアイヌ語由来の地名も分析できるようになるのでしょうか?
16日目 第16課 6月2日(月)
数の数え方を学びました。1から10は以下のような感じです。
シネ、トゥ、レ、イネ、アシㇰネ、イワン、アㇻワン、トゥペサン、シネペサン、ワン
そして二桁からが鬼門。11は「シネ イカㇱマ ワン」、直訳すると「1余る10」という風になります。
さらにこれでネコ(チャぺcape)を数えるとなると、「シネ チャぺ イカㇱマ ワン チャぺ」となります。「11匹のネコ」は「1ネコ余る10ネコ」。慣れるまで大変です。
17日目 第17課 6月3日(火)
どうやらアイヌの人々にとって、月(チュプ)にいるのは餅をつく兎(イセポ)ではないらしい。「怠け者の少年(トランネ ヘカチ)」がいるとのこと。本課のスキットのベースとなるこの言い伝えは、カムイユカㇻ(神謡)と呼ばれる、歌うように物語られる伝承に由来するものです。月の模様が、なぜ「手桶を持って立っている少年」のように見えるるのか、その理由が明かされます。個人的に「兎が餅をついている」ようには見えたことがなかったので、どちらかといえばアイヌの伝承の方が解釈一致でした。
18日目 第18課 6月4日(水)
アイヌ語の直接話法と間接話法について前課から学んでいます。動詞や引用の「~と」にあたる語を意味に応じて使い分けなくてはなりません。
英語を学んでいた時も、受験英語が大好きな直接話法と間接話法の書き換え問題などをよく解かされましたが、アイヌ語の方がずっと難しい気がします。直接話法の引用文中の「私」を表すのは、1人称ではなく……もちろん器用貧乏の4人称さんです。
19日目 第19課 6月5日(木)
フチ! ネㇷ゚カ ウエペケㇾ ウンヌレ ヤン!
おばあちゃん! 何か私たちにウエペケㇾを聞かせて!
ということで、フチが「ウエペケㇾ」という話し言葉に近い散文説話のひとつを語ってくれました。節をつけて歌うカムイユカㇻとはまた違うものです。主人公は普通の人間で、体験談や生活の知恵が語られるそうです。練習問題にはウエペケㇾの読解問題付き!
20日目 第20課 6月6日(金)
ウレㇰレㇰ アキ ロ!
なぞなぞをしよう!
ということで、最終課はなぞなぞ回です。「家のまわりで手をつないでいるものは?」「道のわきに涙をこぼすものは?」など、文化的背景がわかっていれば答えられるものだそうです。解説を読めば「オハイネ~(なるほど~)」となりますが、ゼロ知識で挑むと全く歯が立ちません。これまた練習問題にはなぞなぞが用意されています。激ムズです。
さて、なんやかんやで約1ヶ月のアイヌ語生活も終わりを迎えました。今回はかなり楽しさが上回っていたのですが、果たして腕試しの点数にどう反映されるのでしょうか……?
腕試し
85点
素晴らしい……。前2回では50点台という非常にコメントに困る点数が続いていたので、このような芳しい結果になりましたこと、大変喜ばしい限りです。まあ正直いつもよりテストが易化していたような気がなきにしもあらずなのですが。受ける回によって当たり外れがあるなんて、センター試験(死語)を受けているようで高校生の時を思い出しました。
それにしても、動物の鳴き声をカバーしていたのが大当たりでした。「いや犬の鳴き声がミㇰミㇰってなんだよ」みたいなツッコミって、意外と記憶に残りやすいので、語学においてはめちゃくちゃ重要な気がします。今後も言語を学ぶ際にはツッコミに徹したいと思います。
今回の「腕試し」もお配りします。「アイヌ語1ヶ月チャレンジ」に挑戦してみたいという好事家の方は、ぜひダウンロードして解いてみてください。
挑戦を終えて
ここまで読んでいただいたみなさま、お時間割いていただきまして本当にありがとうございました。積読の消化とか、もっと他にやるべきことがあったんじゃないでしょうか。
今回もこうして無事に1ヶ月諦めずに終えられましたので、総括してみます。
腕試しの結果から言えば、『ニューエクスプレスプラス アイヌ語』は1ヶ月で、
だいたい8割ぐらい全体像をつかめる
ことがわかりました(個人差による・要出典・要ファクトチェック・コミュニティノート不可避)。
スキットは現代に合わせたものや、アイヌ文化や伝承を学べるものまで様々で、読んでいて飽きが来なかったですね。短期間では覚えづらい動詞の活用や複雑な語順の規則もほとんどなかったので、文法的な面で今まで挑戦した言語の中でも一番取り組みやすかったです。
また、カタカナで学べてしまうというのも、なかなか変な感じがしましたね。外国語といえば文字から入るという先入観を捨てて、日本語話者が唯一表記の面で苦労せずに学べる言語かもしれません。発音も割とカタカナ通りでOKなので、そこのハードルが低いのも初学者にはありがたい限りです。
そして何よりもアイヌ文化がめちゃくちゃ面白い。本書ではコラムとしてではなく、ちゃんと文法解説の流れでアイヌ文化や社会が紹介されているので、学習事項の一部となっております。こうした文法以外の楽しさは語学を続けるモチベーションを圧倒的に高めてくれるなと、改めて感じました。文法は苦手だけど、アイヌ文化には興味はあるという方でも、通読して後悔しない1冊になっていますよ!
そんなアイヌ語ですが、白水社では『ニューエクスプレスプラス』の他にも学習参考書を取り揃えています!
アイヌ語の口承文学をはじめとする文化的側面にもっと触れたいという方には『カムイユカㇻを聞いてアイヌ語を学ぶ[新装版]』がおすすめ! 本記事にも登場したカムイユカㇻを通して、『ニューエクスプレスプラス』で一通り学んだアイヌ語にさらに磨きをかけることができます。20課で挑戦したような、なぞなぞも収録されています。
さらに、アイヌ語文法の免許皆伝を目指したい方には『アイヌ語広文典』は必携の一冊! 文法だけでなく、歴史や口承文学、諸方言まで網羅した総頁数600越えの中川裕先生の大著。アイヌ語をマスターしたいという方には購入が義務付けられているようなものです。
さて、相変わらず今回も長くなりましたが、アイヌ語編はこれにて終了です。長文・駄文に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。イヤイライケレ。
ここまで読破してしまったという方は、せっかくなので『ニューエクスプレスプラス アイヌ語』をお手に取ってみてください。アイヌ語の基礎ばかりか、北の厳しい自然を生き抜く知恵まで身につきます。学習歴1ヶ月の人間が代表面するのもおかしいのですが、消滅危機言語にもリストアップされているアイヌ語に、これを機にもっと興味を持つ方が増えればうれしい限りです。
フィリピノ語、アイルランド語、アイヌ語と規則性が全く見えてきませんが、次回の第4回目の言語はいったいどの言語になるのか……? 次回の更新もお楽しみに!