ノーベル賞作家クラスナホルカイからハンガリー語を読み解く(早稲田みか)
ノーベル文学賞に選ばれたハンガリーの作家クラスナホルカイ・ラースローは、一文がうねるように続く長文で知られ、複数の視点からみた時間軸に沿わない断片的記述など、ポストモダン的形式を特徴とする作家である。その作品では貧困、抑圧、暴力、戦争など、人間をとりまく絶望的で出口の見いだせない不条理な状況、秩序の崩壊した黙示録的世界が描かれることが多い。
クラスナホルカイは、村上春樹ともども、このところずっと候補にあがっていたから、今年も発表を待って待機していたものの、「ラースロー」と聞こえた瞬間にはさすがに驚いた。スウェーデン語も英語も人名は名・姓の順だから、「ラースロー・クラスナホルカイ」と読みあげられたが、ハンガリー語では姓・名の順で記すのでクラスナホルカイ・ラースローとなる。村上春樹が受賞したら、やはり「ハルキ・ムラカミ」とアナウンスされるのだろうか。
このように名前を姓・名の順で記すのは、ヨーロッパの諸言語のなかではハンガリー語だけである。なぜなのか、謎である。
言語の系統やタイプ(類型)がちがうからと言われることもある。たしかにヨーロッパの言語のほとんどがインド・ヨーロッパ語族に属しているのに対して、ハンガリー語は、ウラル語族という別の語族に属している。しかし、同じウラル語族のフィンランド語やエストニア語では、人名はどちらも名・姓の順だ。
姓は、「〜の息子の」とか「〜の出身の」のように、同じ名をもつ人物を区別するために使用されるようになったものなので、日本語も含めて、ハンガリー語やフィンランド語のように、修飾語が被修飾語の前に置かれるタイプの言語では、姓・名の順が自然だと思われる。フィンランド語でも元は姓・名の順だったのが、17世紀頃に当時、政治的・文化的に優位にあったスウェーデン語の影響で名・姓の順になったらしい。もとをたどれば文化的に大きな威信をもっていたラテン語の影響といえるだろう。
ラテン語はハンガリー語にも多大な影響を及ぼしたが、人名表記に関しては独自の言語習慣が今に至るまで頑固に保持されているのは、ハンガリー語という言語自体も含めて、独自性を保守したいというハンガリー民族の強い意志ゆえのことなのかもしれない。
ハンガリー人たちは9世紀末に東方からヨーロッパにやってきた、いわば異民族(移民)である。そこでキリスト教を受容してヨーロッパに同化し、文字もラテン文字を採用した。
クラスナホルカイ・ラースローはハンガリー語ではKrasznahorkai Lászlóと表記される。文字がラテン文字であるだけで、言語学習のハードルは格段とさがるのではないだろうか。英語とちがうところは、ラテン文字2つ、あるいは3つからなるアルファベットがあることだ。クラスナホルカイの姓名にあるsz は日本語の「サ、ス、セ、ソ」の子音に相当する。また、補助記号を使うところも英語と異なる。文字の上の小さな斜線は、このアルファベットが長く発音される音であることを示している。
クラスナホルカイには、京都に滞在したときの体験をもとに執筆された小説『北は山、南は湖、西は道、東は川』(拙訳、松籟社、2006年)がある。この題名は「北からは山、南からは湖、西からは道、東からは川」が守護する地に寺を建立すべしという古来の定めに由来している。風水では四神相応と呼ばれる運気のあがる地相である。
ハンガリー語原題はÉszakról hegy, Délről tó, Nyugatról utak, Keletről folyó である。északは北、hegyは山、délは南、tóは湖、nyugatは西、utakは道の複数形、keletは東、folyóは川である。-ról/-rőlは「〜から」という起点を表す接尾辞である(őは、ドイツ語のオーウムラウトöの長音である)。
ハンガリー語では日本語と同じように名詞の後ろにさまざまな接尾辞をつけて、別の語を派生させたり、文中における語の文法関係を表したりする。このようなタイプの言語は膠着語と呼ばれ、ハンガリー語も日本語も同じ膠着語に分類される。ますますハンガリー語に親しみがわいたのではないだろうか。
ここで目ざとい読者諸氏は、「~から」という接尾辞にふたつの形があることに気づくだろう。-rólと-rőlである。ハンガリー語には母音調和という現象がある。母音が複数のグループにわかれていて、原則、語幹と接尾辞の母音は同じグループの母音でなければならない。上記の長たらしいタイトルをじっくり観察すれば、その規則が見えてくるはずだ。言語学オリンピックで出題されてもおかしくない問題である。
そう、語幹の最後の母音がa のときは -ról、e/é のときは -ről がついているのである。さらに詳しく知りたい方には、ぜひ白水社から出版されている『ニューエクスプレスプラス ハンガリー語』、『ハンガリー語の入門』、『ハンガリー語のしくみ』を手にとっていただきたい。
さて、クラスナホルカイの文体上の特徴は一文がやたら長いことである。拙訳でもできるだけ原文と同じようにしようと頑張ってみた。最後に、その一例を紹介しておこう。
クラスナホルカイの文学世界には、いつも暗澹とした黙示録的雰囲気が漂っているのだが、そんななかに時折くすりと笑える一節が紛れこんでいたりする。舞台は京都。ちなみにもっと長い文はまだまだいくらでもある。
曲がり角にはひとつおきに自動販売機があったから、これも何かの足しになるかもしれないと考えて、小銭をあるだけ投入してめいめいがそれぞれにボタンを押し、その場で、自販機の前ですぐさま、一本また一本と缶ビールを飲み干していったが、足しになるどころか状況をさらに悪化させて酩酊状態はいよいよ深まるばかり、どうしたらよいか皆目見当もつかなくなって、あちらへふらふらこちらへふらふらと一時間ほど徘徊し、ビールの自販機から自販機へと一時間ほどほっつき回ったあげくのはてに、ここに派遣された本来の目的が何だったのか、おぼろげな記憶さえも失って、すっかり絶望の淵に沈み、自分たちを助けてくれる者はいないものかと周囲を見回したが、そもそもなぜ困っているのかを正確に伝えることさえできない有様になっていた。
『北は山、南は湖、西は道、東は川』(拙訳、松籟社、2006年)
【執筆者紹介】
早稲田みか(わせだ みか)
 大阪大学名誉教授。専門はハンガリー語学、言語学。
著書『ハンガリー語の入門[改訂版]』『ニューエクスプレスプラス ハンガリー語[音声DL版]』『ニューエクスプレス ハンガリー語単語集』(以上、共著、白水社)、『ハンガリー語の文法』(大学書林)、『図説ブダペスト都市物語』(河出書房新社)。訳書ジョン・ ルカーチ『ブダペストの世紀末』(白水社)、クラスナホルカイ・ ラースロー『北は山、南は湖、西は道、東は川』(松籟社)。
 
							



