4時間の大作で映し出す料理人の仕事
日本でも配給された『ポトフ 美食家と料理人』も含め、去年もフランス料理がテーマとなる映画が数本作られた。広く大衆に受け入れられやすい主題であるためか、レストランがテーマになる作品は毎年出てくるが、その中でも群を抜いて大胆な映画は、アメリカ人映画監督フレデリック・ワイズマンによる、シェフのトロワグロ一家をテーマにしたドキュメンタリー映画「Menus-Plaisirs – Les Troisgros」だろう(les menus-plaisirsとは、王政下、宮廷で行われる宴やセレモニーのオーガナイズ担当役を指す言葉。元々、「ささやかな喜び」という意味を持つ)。何が大胆と言ってまずは4時間というその長さ。演出やナレーションを排した作風で知られるワイズマンだが、今回も、厨房での下拵えの風景、市場での会話、チーズ生産者やワインの作り手訪問、レストラン客室でのソムリエと客の会話などが淡々と撮られ続ける。
次に大胆なのが、完成した料理の姿はほとんど現れないこと。レストラン店内では客とカメラの間には一定の距離があるので、出来上がった料理がアップで映されることはなく、私たちはそれこそ隣の席のお客が食べているお皿を覗くような形で料理を覗き見することになる。
では、味気ない映画なのかというと、そんなことは全くない。素材のテクスチャー、匂い、風味は、長時間割かれた厨房のシーンから伝わってくる。そこでは、血抜きをされた子羊の脳みそ、フライパンの上のエスカルゴ、前菜の上に散らされるエディブルフラワーなどがそれぞれ至近距離から撮られる。肉の焼き加減を見るために指で押して弾力を確かめる仕草、ザリガニの殻を剥く指の動きなどから、私たちは素材に間接的に触れているような気持ちになる。観客は完成された料理の姿や匂いに触れるのではなく、完成に向かって進んでいく素材に触れるのだ。素材との距離の近さは、料理人の視点でもあるのだろう。そして、味や匂いは、幾度となく味見をし、それぞれの段階でコメントや指摘をしていくミシェル・トロワグロの言葉を通じて私たちの元に伝わってくる。
そう考えた時、4時間という長さにも納得がいく。料理人の仕事は、繰り返される動き、長時間の作業、絶えざる試行錯誤の中にあり、それを観客自身が体で感じるために必要な時間なのだろう。
フランスでは前年12月末に公開されたこの映画は多くの媒体で取り上げられ、パリで私が見た回にも、公開後1か月の平日午後にもかかわらず年齢層も様々な多くの観客が見に来ていた。料理人、レストランの常連、映画ファンたちが来ているのだろうと想像され、このような地味な作品が評価されるところに、料理という行為に対するフランス人の関心の深さを感じる。