毎日のパンを自らの手に取り戻す試み
昨年春、コロナにより非常事態宣言が出た時、世界中でパン作りが流行したことを覚えているだろうか。あの時のパンへの情熱は今はもう消えてしまったのだろうか。
少なくとも、パンの一大消費国であるフランスではそんなことはない。 かつて、大規模野外音楽フェスにエシカルフードスタンドを導入し大成功させたことで知られる若きイベント仕掛け人、トマ・グルンベルグは、去年ひたすら自宅でパン作りに励んでいたという。その成果として『Pain pain zine』という雑誌を創刊し、パンからクラフトジンを作り、この6月「パンフェスティバル」を開催したのだ。
パリ郊外の広大な会場を開放し、誰もが参加できる入場無料のイベントを企画した彼は、パンは大衆的かつ民主的な食べ物であるべきだと言う。長い間、フランス人はパンを大規模農業と製パン会社に委ねてきた、今こそパンを自らの手に取り戻すべきだというのが彼の主張だ。
この催し物においては、パン屋スタンドでのサンドイッチや朝食販売、大人や子供のためのパン作り教室、パン種交換会、古代麦や希少種の麦を原料とする小麦粉販売のほか、複数の討論が行われた。テーマは「自然製法のパンは嗜好品になり果てたのか」「パン職人はサステナブルフードの流れに連なるべきか」「いかにしてパン屋へ転職するか」「パンが社会階級の溝を埋めると考えるのはユートピア的か」など。パン職人、食のジャーナリスト、歴史家、発酵専門家、心理学者などが登壇し、各回200人近くの聴衆を集めた。また、会場にはパン釡が三台設置され、誰でも自分のパン生地を持ってきて焼けるようになっていた。
「昔はどの村にも共同のパン焼き釡がありました。そういった場所をまた復活させたいと思ったのです。使用したのは、第二次大戦時の移動式パン焼き釡です。兵士たちの食事のため開発された薪釡がまだ現役で使えることが分かり、今回使用することにしました」という。戦場でもパンを焼いていたフランス人の食に対する情熱には脱帽する。
イベントでは、第二次大戦時の移動式パン焼き釜を使用
たった1日のイベントだが、参加者は数千人を超えた。若い世代には、会社員などから自然製法のパン屋へと転職を希望する人が多いのだそうで、熱心な参加者が特徴的だった。コロナ禍の間、人生の転機となる選択を行った人は少なくなかったが、ここから新しいパン作りの流れが生まれるかもしれないと思わされた。
◇初出=『ふらんす』2021年9月号