女性シェフに向けられる冷ややかな視線
すでにフランスの料理業界やワイン業界における女性の活躍については紹介したが、それに対して何の反発も起きないわけではない。先月起きたある事件は、女性シェフに対する偏見がいまだに強いことを示すものだった。
今年のミシュランガイドでは、女性シェフが数人新しく一つ星を授与され、中でも去年開店したマノン・フルーリーのレストランDatilは特に注目を浴びた。料理の才に恵まれているだけではなく、料理業界の革新のために積極的な発言を続ける彼女は、女性の職場環境の改善を訴え、自らのレストランでも多くの女性スタッフを雇った。その様子がミシュランスター発表後彼女を撮ったドキュメンタリー番組で流れると、誹謗中傷がフランスの「食べログ」にあたるサイトに次々と書きこまれた。その多くは、彼女の店に行ったこともない、彼女の料理がどんなものかも知らない人たちからのものだった。
レストラン側は根拠のない誹謗コメントの削除をサイトに求め、もちろんその要求は受け入れられたのだったが、男性料理人が大多数の厨房を見ても驚かない人たちが、女性が多く働く厨房を目にして逆差別だと騒ぐこと自体が、フランスにもまだ根深い偏見があることを示している。
マノン・フルーリー自身は、仕事ができる人は男女変わりなく重用すると明言したことで、結果的に女性の応募が大多数になっていると説明する。それは嘘のないところだろう。
彼女はエコロジー意識も高く、料理の際にもレスウェイストを心がけ、野菜を中心とした様々な発酵の実験からなる現代的な料理を提供している。これが頭でっかちな料理、観念的な料理だと批判されることもあるが、そういう人たちは、男性料理人に対しては「頭でっかちな料理」とは言わず、知的な料理というのだろう。
こういった批判はもちろん彼女だけにではなく、才能ある女性シェフには常に投げかけられるものである。女性が注目を浴びることが気に入らないのは一般人だけではない。前世代を代表する料理批評家のフランソワ・シモンは、マノン・フルーリーが「me too」世代のシェフであると遠回しに揶揄し、彼女は妖精のようだと誉め殺しをした上で、「don’t touch meの料理だ」と皮肉り、揚げ足を取られないよう巧妙なレトリックを使いながら、意識が高く知的な女性料理人が目障りだともらしている。
もちろん、レストランガイドサイト「FOODING」のように、真っ先にこのニュースを報じ、大々的に彼女の擁護に回ったメディアもある。政治意識も高い女性編集長、エリザベット・ドゥブースあってのことだろうが、女性の活躍が可能になるには、それを発信するメディアでの女性の存在、そして料理業界のあらゆる分野での連帯が必要なことを改めて感じる一件だった。