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「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」辻野裕紀

第3回 몇일と며칠のどちらが正しいのか

Q:《何日》を意味する韓国語として、몇일と며칠という2通りの表記を見かけます。どちらが正しいのでしょうか。

A:韓国語母語話者でもよく間違えるのですが、後者の며칠が正しいです。몇일は完全に誤りです(注1)。몇일と綴る人は몇《何》+일《日》だと誤解しているのだと思いますが、며칠に含まれる-irは漢字語形態素の「日」とは何の関係もありません。そもそも몇일という表記では、[며칠]という発音にはならず、몇 월《何月》が[며둴]となるように、[며딜]と発音せねばならないはずです(注2)
 며칠は中世語では며츨という形でした。そして、19世紀に入って、ㅅ、ㅈ、ㅊの直後のㅡがㅣに変化するという現象(母音の前舌化)が生じ、その結果、며츨が며칠となります。他の例としては、슳다>싫다《嫌だ》、승겁다(注3)>싱겁다《味気ない》、아츰(注4)>아침《朝》などがあります。
 それでは、中世語の며츨に含まれる-ɨrは一体何なのでしょうか。これは固有語で《日》を表す要素だったようです。母音調和による-ʌrという異形態もあり、現代語の이틀《二日》、사흘《三日》、나흘《四日》、열흘《十日》にも含まれています。これらは中世語ではそれぞれ’ithɨr(現代語と同じ)、sahʌr、nahʌr、’jerhɨr(現代語と同じ)で、下線を引いた部分がまさに《日》を表す-ʌr~-ɨrという要素です(注5)。《二日》に現れるith-(~it-)という形態素は、現代語の이듬해《翌年》、이듭《牛馬の二歳》などの中に残存しています。sahʌr、nahʌrのsah、nahはseih、neih(現代語では셋、넷)の異形態であり、かつては母音交替(Ablaut)が韓国語に存在した可能性を示唆するものです(注6)。現代語の하루《一日》は中世語ではhʌrʌであり、これもhʌrʌrという、-ʌrを含む語形に遡及するものと考えられています。
 ちなみに、最近は사흘を《四日》だと思い込んでいる韓国の若い人がいると聞いたことがあります。これは사を漢字語数詞の「四」だと誤想しているせいだと思われます。わざわざ나흘と言わなくても、日常的には사일で事足りてしまうわけですから、「言語の経済性」から考えると、こうした類別数詞的なものが漸次廃れていくのは自然な流れのような気もします(注7)

 このように、歴史言語学的な知識を有さない「大衆」が作り出した、間違った解釈を「民間語源(folk etymology)」と呼ぶことがあります。他にも例をいくつか見てみましょう。
 例えば、우레《雷》を「雨雷」という漢字語だと錯覚して「우뢰」と書いてしまう韓国語母語話者が間々います。しかし、우레は中世語の울에(<우르-+-에)に起源する語で、純然たる固有語です。また、여우《狐》の方言形여호の호を漢字語形態素「狐」と見做す方もいますが、これも謬見です。
 영계《若鶏》の영は英語のyoung《若い》から来ているとまじめに主張する母語話者にも会ったことがありますが、これは本来연계(軟鶏)という漢字語であり、軟口蓋子音/k/の直前で/n/が/k/と同一調音点の鼻音/ŋ/に逆行同化することで「固有語化」したものです。
 올해《今年》の해を《年》だと思っている方も多いと思いますが、これも実はそうではありません。中世語で《今年》を意味する語は옳で、それに処格助詞-애が結合した形が올해です。つまり、올해というのは直訳すれば《今年に》であり、助詞までを含んだ形全体が名詞化しているわけです。類例としては、나이《年齢》が挙げられます。中世語で《年齢》は낳で、それに主格助詞-이が付いたのが나이(나히>나이)です(注8)
 言語学では、「単語あるいは単語群が、新しい世代の人々によって、以前の時代とは異なった具合に分析されること」を「異分析(metanalysis)」と称呼しますが、올해の語構造を올+해のように剖析してしまうのもその一例だと言えるでしょう。英語では、apron《エプロン》が異分析の例としてよく挙げられます。an apronは中期英語のa napronが誤って腑分けされた結果、生じたものです。現代では、napronではなく、むしろapronのほうが「正しい」単語ということになっていますね。日本語の例としては、「あかぎれ」が有名です。「あかぎれ」は「あか(赤)+ぎれ(切れ)」ではなく、元々は「あかがり」という語形に遡ります。「あかがり」は「あ+かがり」という語構造で、《足》の意の「あ」と《ひび、あかぎれ》の意の「かがり」が合わさった合成語です。
 なお、語源をめぐる誤謬は、一言語内のみならず、言語間においても見られます。例えば、日本語の地名「奈良」は韓国語の나라《国》と関係があるなどといった類の説です。中には講究に価するものもありますが、その過半は荒誕なる俗流語源論であり、言語学を志す者であってみれば、かかる胡乱(うろん)な言説には常に身構え、禁欲的であるべきです。

 

(注1)몇 일のように分かち書きをしても同様に間違いです。
(注2)〈n挿入〉が生じて[면닐]という発音もあり得そうですが、일が漢字語形態素の「日」だとすると、〈n挿入〉は後行要素が漢字語でかつ/i/で始まる場合には基本的に生じないので(cf. 일본인[일보닌]《日本人》、조선일보[조서닐보]《朝鮮日報》)、[면닐]とは発音できません。
(注3)より古い形は슴겁다でした。
(注4)より古い形はachʌmでした。
(注5)ちなみに、日本語の「ふつか」、「みっか」などの「か」も《日》を表す古語ですが、これは上代語の「け」《日々》の古形で、韓国語の-ʌr~-ɨrと異なり、本来は名詞だったようです。「ついたち」は周知の通り、「つきたち(月立ち)」に由来します。「書きて」が「書いて」、「さきたま(埼玉)」が「さいたま」になるのと同じき一種の「イ音便」です。
(注6)さらに、서~석(e.g. 서넛、석 달)、너~넉(e.g. 너댓、넉 달)のような形もありますね。
(注7)いわゆる固有語数詞も数が大きくなると漢字語数詞で代用することがしばしばあります。例えば、《20個》は스무 개が正しいですが、이십 개という表現も実際には使います。なお、現代語の固有語数詞は아흔아홉《99》までしかありませんが、中世語には온《百》、즈믄《千》といった固有語数詞が存在しました。
(注8)韓国語には他にも語源的に「名詞+助詞」に遡る名詞が散見されます。例えば、어머님《お母様》の어머は中世語の어미《母》の呼格形어마(つまり呼格助詞を含んだ形)に由来し、さらにそれが어머と変化したものです。위《上》は中世語の웋《上》+-의《に》から生じた形であり、現在でも北朝鮮(共和国)の標準語形は우です。頻回に耳にする앞에가《前が》のような形も앞에という「名詞+助詞」が事実上名詞語幹として機能していますね。

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著者略歴

  1. 辻野裕紀(つじの・ゆうき)

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府言語・メディア・コミュニケーションコース准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京外国語大学外国語学部フランス語専攻卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国ソウル)専任講師を経て、現職。専門は言語学、韓国語学、音韻論、言語思想論。文学関連の仕事も。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』(九州大学出版会、2021年)など。
    (写真:©松本慎一)

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