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「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」辻野裕紀

第10回 ㅅ変格用言の起源

Q:韓国語には짓다《作る》などのような「ㅅ変格用言」がありますが、何か歴史言語学的な背景があるのでしょうか。

A:まず、前回の「ㅂ変格用言」と同じように、「ㅅ変格用言」が何かを見ておきましょう。ㅅ変格用言とは、語幹がㅅ[t]で終わる用言のうち、母音語尾が結合する際、ㅅが脱落するものを指します。語基論的な図式で説明すると、第Ⅱ語基と第Ⅲ語基でㅅが脱落するものです。第Ⅰ語基では表記上、終声字母=パッチム(注1)としてㅅが書かれますが、発音は[t]であって、第Ⅱ語基と第Ⅲ語基では脱落しますので、[s]という音が実現することはありません。ㅅ変格用言に属する用言はほとんどが動詞であり(注2)、形容詞は낫다《ましだ》ぐらいしかありません。
 さて、ㅅ変格用言の歴史言語学的な背景についてですが、それを理解するには、まず、中世語には、現代語に存在しない有声摩擦音/z/[z](半歯音)があったということを知る必要があります。有声摩擦音/z/は、字母ㅿで表記され、ㅿは漢字音の日母を表すのにも用いられました。/z/は、固有語では、母音間、/n/と母音の間、/m/と母音の間、母音と/β/の間、母音と/ɣ/(注3)の間に現れ、オノマトペや漢語(中国語)からの借用語などでは、語頭にも現れました:e.g. ’azʌ《弟妹》(注4)(母音間)、hanzum《溜息》(/n/と母音の間)、momzo《みずから》(/m/と母音の間)、’uzβɨri《おかしいであろう》(母音と/β/の間)、kʌzɣai《鋏》(母音と/ɣ/の間)、zerzer《水の流れるさま》(語頭)、zjoh《褥》(語頭)。
 tuze(h)《二三》(<turh《二》+seh《三》)、phɨzeri《草の間》(<phɨr《草》+seri《間》)、hanzum《溜息》(<han《大きい》+sum《息》)などに現れる[z]のように、合成語の後行要素の語頭の/s/が有声音間で弱化したと考えられるものもありますが(注5)、mʌzʌrh《村邑》、sʌzi《間》などのように、単純語内部に出現することもあります。また、有声音間の/s/がすべて[z]と交替するわけではなく(e.g. kasʌi-《直す》、pasʌn《脱いだ:過去連体形》など)、こうした事実は、[z]を音素/s/の条件異音ではなく、自存する音素/z/として認定せねばならない根拠となります。
 そして、ㅅ変格用言は、この有声摩擦音/z/と関係があります。現代語のㅅ変格用言に対応する中世語の用言の語幹末子音は、子音語尾の前では/s/、母音語尾の前では/z/で現れました(注6)。例えば、cis-(짓-)《作る》は、cis-ko、ciz-’ɨmjen、ciz-’eの如く活用していました。しかし、/z/は15世紀末葉から変化の徴候が見え始め、16世紀後半には消滅します(e.g. sʌzi>sʌ’i>sa’i)。用言の活用形においても同様で、cizɨmjen>ci’ɨmjen、cize>ci’eの如き変化を遂げます。これがㅅ変格用言が生じた要因です。
 合成語の中の/z/は消滅せず、hansumのように、再分析されて/s/となったものが多くあります。また、momco《みずから》、sonco《手ずから》、samcitnar《陰暦の三月三日》、honca(<hoza(注7))《ひとり》などのように、/z/>/c/という変化を見せた例も一部あります(注8)。中世語のnamcin《夫、男》も、namzin(男人)に由来するものと思われます(注9)
 /z/は、通時的にはsに溯源するものと考えられ、現在でも慶尚道と全羅道および忠清道にわたる南部地域、咸鏡道の方言では、古音が把持されている場合があります(e.g. [kaɕil]《秋》、中世語ではkʌzʌrh)。こうした方言では、ㅅ変格用言も짓어《作って》のように、正格活用をしたりします(注10)
 なお、ㅿという字母は、音素/z/が消滅した後も、陀羅尼や外国語の表音等に使われることがままありました。また、共和国(北朝鮮)の「朝鮮語新綴字法」(1948年)では「ㄷ変格用言」の語幹のパッチムとして字母ㅿが採用されました。

 ところで、前回取り上げた/β/と上記の/z/に加えて、中世語の有声摩擦音には字母ㅇで表記される、/ɣ/という音素もありました。ついでにこの音素についても触れておきましょう。字母ㅇは、現代語と同じく子音ゼロをも表していましたが、有声音間など一部の環境に書かれると[ɣ]ないし[ɦ]という音を表していたと推考されます(不清不濁の喉音)。例えば、中世語には、《歌》を意味する語として놀애という語がありました。これは、現代語の노래に繋がるものですが、現代語と異なり、中世語では原則として、表音主義的表記法を採っていたため、もし《歌》を[noɾai]のように発音していたとすると(注11)、놀애ではなく、노래と書かれていたはずです。しかし、놀애と表記されていた以上、ㅇに何らかの音価が存していたものと見なければなりません。16世紀末に日本人が韓国語の単語や短文を記録した『高麗詞之事』という資料には、「歌ヲ謡ヘ」に相当する韓国語として、「ドロカエブルラ」とあり、この「ドロカエ」はnorkaiという語形を写したものと考えられています(注12)。現在でも方言によっては、《歌》を놀개と言う地域があります(注13)
 /ɣ/の出現環境としては、二重母音後半部の/i/, /r/, /z/と母音の間、また指定詞の語幹’i-の直後です(注14):e.g. pʌiɣai《梨浦》(/i/と母音の間)、norɣai《歌》(/r/と母音の間)、kezɣui《みみず》(/z/と母音の間)、百姓’iɣo《民(という意味)で》(指定詞’i-の語幹の直後)
 /ɣ/は、通時的に見れば、kに遡及するもので、上記の環境において、[g]>[ɣ]という弱化を経て生じたものだと思量されます(注15)。また、共時的にも、/k/で始まる語尾類が、指定詞’i-に後続する場合に加え、末音が-rや二重母音-Vi(注16)の語幹に結合する場合にも、規則的に/k/が/ɣ/と交替します(注17)
 /ɣ/は、/z/と母音の間という環境から消失が始まります。16世紀前半の段階で既にkʌzai《鋏》、kezui《みみず》といった表記が見られます。
 /r/と母音の間という環境では、体言か用言かによって変化のベクトルが異なります。体言では、17世紀に入り、/ɣ/が/r/に変化して/rr/となったもの(e.g. norɣai>nornai(注18)、norrai《歌》)と/ɣ/がゼロになったもの(e.g. norɣai>norai《歌》)とが共在するようになり、18世紀には後者が前者に贏(えい)することとなります。一方で、用言では、16世紀末葉に、/ɣ/が/r/に変化して/rr/となりました(e.g. orɣa>orra《上って》)。語尾類の頭音/k/が/ɣ/となっていたものについては、16世紀にすべて/k/に平準化されます(e.g. arɣo>arko《知って》)。

 

(注1)終声とパッチムの区別がついていない教材が山のようにありますが、終声とは音節末子音、パッチムとは終声字母のことであって、全く別のレイヤーのものです。前者は音のレベル、後者は文字(より正確には字母)のレベルに属します。学習者のみならず、教師も両者をよく混同していますが、混同しないようにしてください。
(注2)一方で、語幹末がㅅで終わる動詞には、正格活用をするものもあまたあります。
(注3)/ɣ/については後述します。
(注4)正確に言うと、’azʌは自分と同性の年下のキョーダイを指します。自分=男性の場合は《弟》、自分=女性の場合は《妹》を表すわけです。また、自分と同性の年上のキョーダイはmʌtと言い、異性のキョーダイは年上、年下を問わず、自分=男性の場合はnu’ɨi、自分=女性の場合は’orapiと言っていました。なお、キョーダイを指示するこの語彙体系は、古代日本語のそれと酷似しており、mʌtは「え」、’azʌは「おと」、nu’ɨiは「いも」、’orapiは「せ」とほぼ一致します。
(注5)合成語の中には、「有声音化形」と「非有声音化形」の双方が混在するものもあります。例えば、tuze、hanzum、phɨzeri、momzoといった語形に対して、各々tuse、hansum、phɨseri、momsoといった語形が並存しています。これらは古形と新形という関係ではなく、方言による違いと考えられています。
(注6)中世語においては、現代語と異なり、パッチムのㅅは文字通り[s]と発音されていました。
(注7)通時的な変化として、c, chの直前に鼻音が挿入される現象(nasal insertion)が散発的に観察され、hoza>honcaの如く、/n/が挿入されているのもその一例です。他にも、가치>간치(近代語)《カササギ》、고티->고치->곤치-(近代語、咸鏡道方言)《直す》、더디->더지->던지-《投げる》、머추->멈추-《止まる、止める》などの例があります。
(注8)momco、soncoについては、現代語では、momso、sonsuが標準語形です。
(注9)ちなみに、西北方言(平安道方言)においては、中世語のkʌzai《鋏》が[kaŋɛ], [kaŋe]という形で現れ、見かけ上、/z/が/ŋ/に変化していますが、河野六郎先生の有名な論考「朝鮮方言学試攷:「鋏」語考」によれば、これは、母音連続(hiatus)を避けるために、/ŋ/が挿入されているものです。中世語のnazi《なずな》(日本語の「なずな」としばしば比較される)と関係がありそうな、現代ソウル方言のnɛŋ’iも、一見これとよく似ていますが、同論考によれば、nɛŋ’iはnaziの直接の後継者ではなく、diminutive formのnazaŋ’iが変化した形です。mazʌn《四十》は現代語でmahɨnとなり、/z/>/h/という変化が生じています。
(注10)ちなみに、《拾う》に相当する動詞は、現代の韓国の標準語形では줍다(ㅂ変格)ですが、中世語では줏다でした。本来ならば、ㅅ変格用言になっているはずのもので、共和国の標準語形では줏다(ㅅ変格)ですが、方言によっては、ㅅ正格用言になっています。
(注11)中世語でㅐは[ɛ]ではなく、文字通り[ai]と発音されていたと考えられています。
(注12)[no]が「ド」と写されているのは、いわゆる「語頭鼻音の出わたりの非鼻音化傾向」によるものです。現在でも네《はい》が「デー」のように聞こえることがありますが、それと同じ現象です。こうした現象が起きる音声学的な機序は比較的シンプルで、例えば、[ne]であれば、鼻音[n]から口音[e]に移るときに口蓋帆が上がるタイミングがややずれて、[n]と調音点を同じくする[d]が出わたりの閉鎖音として現れるからです。日本語にも「のく~どく(退く)」、「のらねこ~どらねこ」などのような交替があることを思い出せば、理解しやすいかもしれません。
(注13)ちなみに、標準語形の노래という表記からは見えにくいですが、놀애>노래《歌》は놀다という動詞の派生語です。中世語の놀다には《遊ぶ》以外に、《演奏する》という意味もありました。考えてみると、日本語の古文においても、「遊ぶ」という動詞には《演奏する》の意があって、よく似ていますね。
(注14)日本語の「ガ行子音」も、いわゆる「ガ行鼻濁音」を持たない話者の発話において、母音間でしばしば[ɣ]で現れること(e.g. あご [aɣo])を想起すれば、有声音間で/k/が弱化して[ɣ]で現れるのはイメージしやすいと思います。
(注15)読者の中には、トルコ語のğ(ユムシャクゲー)を連想する方がいるかもしれません。
(注16)Vはここでは母音(vowel)を表します。
(注17)《落とす》の意の動詞ti-の語幹に/k/で始まる語尾類が続く場合も同断ですが、ti-の声調は上声であり、二重母音-Viのケースに含めて考えることができるでしょう。
(注18)鼻音の流音化は、17世紀には一般化していたものと考えられ、表記はnornaiであっても、発音上はnorraiと同一だったと思われます。

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著者略歴

  1. 辻野裕紀(つじの・ゆうき)

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府言語・メディア・コミュニケーションコース准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京外国語大学外国語学部フランス語専攻卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国ソウル)専任講師を経て、現職。専門は言語学、韓国語学、音韻論、言語思想論。文学関連の仕事も。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』(九州大学出版会、2021年)など。
    (写真:©松本慎一)

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