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「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」辻野裕紀

第4回 -로서と-로써の使い分け

Q:助詞の-로서と-로써の違いがよく分かりません。どのように使い分ければいいのでしょうか。

A:たしかに形が似ていて、混同されがちですよね。母語話者もよく間違えます。原則として、-로서は《~として》という「資格」、-로써は《~をもって》という「道具・手段」の意味になります。紛らわしいですが、歴史言語学的な知識があれば、両者が混濁してしまうことはありません。
 -로서の서の来歴は中世語の셔(現代語の있어)です。あえて現代語風に言えば、-로 있어《~であって、~としてあって》が語源であり、そこから《~として》という「資格」の用法が生じました。
 一方で、-로써の써は中世語のpsɨ-《使う》(現代語の쓰다)と関係があります。つまり、-로 써《~で使って、~を使って》が源であり、それゆえ《~をもって》という「道具・手段」の用法が発生したと言えます(注1)
 これらはいわゆる「文法化(grammaticalization)」の一種です。文法化とは、語彙的形式が文法的形式に変わる言語変化のことであり、例えば、英語のbe going toなどもその一例です。go《行く》という本来の語彙的意味を喪失し、近い未来を表す文法的な表現としての職能を獲得しています。現代日本語の過去を表す助動詞「た」も元々「てあり>たり>たる>た」という融合(fusion)を含む変遷を遂げて成立したもので文法化の例として頻繁に挙げられますが、面白いことに、韓国語の過去接尾辞-었-も中世語の-어 잇-をその根端とします。現代語の닮았다《似ている》などにその原義が仄見えますね。
 -에서《~で》も、本来-에+셔《~にあって》が文法化して生まれた助詞です。方言によっては、있다ではなく、가다《行く》が処格助詞と組み合わさって《~で》を表す場合もあります。これは、琉球語の「んじ」《~で》が「いちゅん」《行く》の「て形」に由来するのと相似した現象です。
 ところで、中世語の이셔(~셔)のㅅが現代語で있어[이써]の如く、濃音へと変化したのも説明が必要かもしれません。これも歴史言語学的に興味深い事象です。理由はおそらく対義語である없어[업써]との発音上の整合化によるものでしょう。
 こうした整合化作用による変化は、他に例えば、中世語の읖다《詠む》が읊다になったり、졈다《幼い》(注2)が젊다《若い》になったりする現象にも観察されます。읖-や졈-の終声にㄹが添加された背景には、それぞれ읽다(中世語では닑다)、늙다との形態的整合化があるものと思料されます。

 

(注1)ただし、「고향을 떠난 지 올해로써 20년이 된다」《故郷を離れて今年で20年になる》のように、「時間」を表す場合にも、-로써を用います。
(注2)졈다は中世語では基本的に「어리다」の意であり、また、中世語の어리다は現代語の어리석다《愚かだ》の意でした。『訓民正音諺解本』に「어린百姓」という表現が出てきますね。《愚かな民》という意味です。

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著者略歴

  1. 辻野裕紀(つじの・ゆうき)

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府言語・メディア・コミュニケーションコース准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京外国語大学外国語学部フランス語専攻卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国ソウル)専任講師を経て、現職。専門は言語学、韓国語学、音韻論、言語思想論。文学関連の仕事も。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』(九州大学出版会、2021年)など。
    (写真:©松本慎一)

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