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「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」辻野裕紀

第9回 ㅂ変格用言の起源

Q:韓国語には덥다《暑い》などのような「ㅂ変格用言」がありますが、何か歴史言語学的な背景があるのでしょうか。

A:まず、「ㅂ変格用言」とは何か見ておきましょう。ㅂ変格用言とは、語幹がㅂで終わる用言のうち、母音語尾が結合する際、ㅂが우に変わり、母音語幹用言のように振る舞うものを指します。語基論的な図式で説明すると、第Ⅱ語基でㅂが우に変わり、第Ⅲ語基でㅂが워となるものです(注1)。ㅂ変格用言の大半は形容詞であり、動詞は깁다《繕う》、눕다《横たわる》など数えるほどしかありません。また、語幹末がㅂの形容詞は、굽다《曲がっている》、수줍다《はにかみ屋だ》、좁다《狭い》などのごく一部を除き、そのほとんどがㅂ変格用言に属します。
 さて、ㅂ変格用言の歴史言語学的な背景についてですが、それを理解するには、まず、中世語には、現代語に存在しない有声摩擦音/β/[β](唇軽音)があったということを知る必要があります。有声摩擦音/β/は、字母(注2)で表記され、母音間、/r/と母音の間、/z/と母音の間にのみ現れました:e.g. tɨβɨi《ふくべ》、sjeβɨr《都》、sɨkʌβʌr《田舎》(母音間)、kɨrβar《文章》(/r/と母音の間)、’uzβi《おかしく》(/z/と母音の間)。
 taiβath《竹藪》(<tai《竹》+path《畑》)、taiβem《大虎》(<tai《大》+pem《虎》)などに現れる[β]のように、合成語の後行要素の語頭の/p/が有声音間で弱化したと推思されるものもありますが(注3)、saβi《蝦》、’iβɨr-《枯れる》などのように、単純語内部に出現することもあります。また、有声音間の/p/がすべて[β]と交替するわけではなく(e.g. kacʌrpi-《比較する》など)、こうした事実は、[β]を音素/p/の条件異音ではなく、自存する音素/β/と認定せねばならない根拠となります。
 そして、ㅂ変格用言は、この有声摩擦音/β/と関係があります。現代語のㅂ変格用言に対応する中世語の用言の語幹末子音は、子音語尾の前では/p/、母音語尾の前では/β/で現れました。例えば、tep-(덥-)《暑い》は、tep-ko、teβ-’ɨmjen、teβ-’eの如く活用していました。しかし、/β/は訓民正音(ハングル)が創制された15世紀中葉においても既にかろうじて余喘を保っている状態であり(注4)、kɨrβar>kɨrwar(現代語では글월)のように、一体に/w/へと渝替(ゆたい)していきました(注5)。用言の活用形においても同じくteβɨmjen>tewɨmjen>te’umjen、teβe>teweの如き変化を遂げます。これがㅂ変格用言の原初です。/β/は単に消失するだけでなく、直後の母音으を우に、어を워に変えており、これがとても面白いところです。/β/の「唇音性」を直後の母音に与えることで、自身は滅失しても、その存在の跡形を活用形の中に刻み付けているわけです。
 /β/は、通時的にはpに溯源するものと考えられ、現在でも慶尚道と全羅道および忠清道にわたる南部地域、咸鏡道の方言では、古音が把持されている場合があります(e.g. [sebi]《蝦》、中世語ではsaβi)。こうした方言では、ㅂ変格用言も덥어《暑い》のように、正格活用をしたりします。

 ところで、語中の/p/が弱化して/β/になり、さらに/w/になるという通時的変化は、日本語の歴史においても観察されます。日本語の「ハ行子音」は元々[p]だったということはどこかで聞いたことがあると思います。高校の古文の授業で「「ハハ」は「パパ」だった」というような形で教わった方もいるかもしれません。「ハ行子音」は、語頭では[p]>[ɸ]>[h] (注6)、語中では[p]>[ɸ](>[β])>[w] (注7)という変化(唇音退化)が生じ、その結果、現代日本語においては、基本的に外来語やオノマトペ(注8)などを除いて/p/は現れず(注9)、また単純語の語中に/h/が現れることもありません(注10)。室町時代に「母には二度あひたれども父には一度もあはず」というなぞなぞがありましたが(答えは「唇」)、これは当時の「ハ行子音」の発音が両唇音だったことを示しています。
 日本語の「ハ行子音」が本来[p]だったことを考慮すれば、朝鮮漢字音の入声-pが日本漢字音の「フ」(歴史的仮名遣い)に対応することも得心が行きましょう(e.g. 「十」십 ジフ)。朝鮮漢字音の初声hが日本漢字音のkに多く対応するのも(e.g. 「海」해 カイ)、古い日本語における/h/の不在によるものです。
 一方で、琉球語には、現在でも[p]や[ɸ]を維持している方言があり、例えば《花》を、与論島、沖縄本島の一部、宮古諸島、八重山諸島などでは[p(h)ana(:)]、沖永良部島などでは[ɸana:]と言います。琉球語圏のみならず、東北地方にも[ɸ]を保っている方言があります。また、アイヌ語における日本語からの借用語にも、pasuy《箸》、pisaku《ひしゃく》、pukuru《袋》、puta《蓋》、puntari(<ほだり)《酒器》、pera《へら》、apunki(<あふぎ)《扇》などのように、[p]を温存している語が散見され、このような事実は、日本語の「ハ行子音」がかつて[p]だったことの証左ともなります。
 ちなみに、「p音の退化」は比較的コモンな現象です。例えば、印欧祖語のpは、ゲルマン語ではf、アルメニア語ではh、古代アイルランド語ではゼロになっています。
 このように、視圏を少し拡げてみると、韓国語の変格活用という極めて局所的な現象も、自ずと様々な言語の世界へと接続、連鎖していき、言語学の面白さを賞翫(しょうがん)することができるでしょう。

 

(注1)ただし、共和国(北朝鮮)では、가깝다《近い》のように、語幹の最後の母音が陽母音の場合、第Ⅲ語基でㅂが와になります。韓国でも、곱다《きれいだ》と돕다《手伝う》は、第Ⅲ語基でㅂが워ではなく、와になります。
(注2)これはㅂとㅇを重ねて作られた字母ですが、このように2つの字母を上下に連ねて書くことを「連書」と呼びます。1つの音の表記に2つの字を用いる「二重字(digraph)」の一種です。二重字の例としては、例えば、英語において、thで[θ]や[ð]を表すことがよく挙げられますが、これはtで調音点(歯音)、hで調音方法(摩擦音)を示しています。それと同様に、も、ㅂで調音点(両唇音)、ㅇで調音方法(摩擦音)を表しているものと考えられます。
(注3)日本語の「バ行子音」も、母音間においてしばしば[β]で現れること(e.g. かぶき [kaβɯkji])を想起すれば、有声音間で/p/が弱化して[β]で現れるのはイメージしやすいと思います。
(注4)字母は刊経都監(1461年に世祖によって設置された、仏典の翻訳を主たる目的とした機関)で刊行された文献からはほとんど用いられなくなります。
(注5)/βi/については、/wi/に変化したものもありますが、kaskaβi>kaska’i(現代語の가까이)《近く》のように、/i/へと変わったものの方が一般的です。また、/βʌ/は/o/になります(e.g. sɨkʌβʌr>sɨkʌ’or(現代語の시골)《田舎》)。
(注6)ただし、「ヒ」は[çi]、「フ」は[ɸɯ]です。音素としては/h/という形で括れます。
(注7)日本語史では、[ɸ]>[w]という変化を「ハ行転呼」と謂います。

(注8)逆にオノマトペに/p/が残存しているのも面白い現象です。例えば、「はた(旗)」は「ぱたぱた」はためき、「ひかり」は「ぴかぴか」光り、「ひよこ」は「ぴよぴよ」と鳴きます。つまり、名詞の/p/が/h/へと変遷しても、オノマトペには古い発音が化石的に残っているわけです。
(注9)「ひっぱる(引っ張る)」、「いっぽん(一本)」、「さんぱい(参拝)」などのように、促音や撥音に先行される場合には/p/が現れることもあります。
(注10)「はは(母)」、「あひる」のような例外はあります。「はは」が「はわ」ではないのは、「ちち(父)」などとの形態的整合化によるものでしょう。現在でも、八丈島の方言では「はわ」に対応する語形「ふあ」が用いられているようです。「あひる」は、「あしひろ(足広)>あひろ>あひる」という変化を経た語で、元々は単純語ではなかったという説があります。

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著者略歴

  1. 辻野裕紀(つじの・ゆうき)

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府言語・メディア・コミュニケーションコース准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京外国語大学外国語学部フランス語専攻卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国ソウル)専任講師を経て、現職。専門は言語学、韓国語学、音韻論、言語思想論。文学関連の仕事も。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』(九州大学出版会、2021年)など。
    (写真:©松本慎一)

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