第2回 濃音と激音の起源
Q:「濃音」や「激音」は韓国語の特徴だとよく言われますが、昔からあったのでしょうか。
A:濃音の濫觴(らんしょう)は、歴史的に見ると、比較的新しいものです。例えば、《苺》を表す딸기は、中世韓国語ではptarkiでした。現代語では語頭に複数の子音が現出することはありませんが、中世語では、sk-, st-, sp-, pt-, ps-, pc-, pth-, psk-, pst-のような複子音(consonant cluster)が語頭に立ち得ました(注1)。現代語の濃音のほとんどは、こうした中世語の複子音にその淵源があります。
複子音は、中世語以前の段階においては、例えば、*pʌsʌr《米》(中世語ではpsʌr)のように、その空隙にʌやɨといった母音(これらを弱母音と言います)があり、それらが脱落して生じたものだと考えられています。12世紀に中国人が韓国語を漢字で音写した資料『鶏林類事』には《米》を意味する韓国語として「菩薩」と書かれており、これがまさに*pʌsʌrという語形を表しているものと推考されます。
そして、中世語から現代語に至る過程で、複子音がいわゆる喉頭化(glottalization)を起こし、濃音へと変化していきます(注2):
*pʌsʌr→第1音節の弱母音脱落→psʌr→喉頭化(濃音化)→ssʌr→ssar(쌀)
Cを子音、Vを母音とすれば、C1V1C2V2>C1C2V2>C2’V2という形で定式化が可能です(’ は喉頭化を示す記号)。
現代語では、햅쌀《新米》、좁쌀《粟米》などのように、쌀を後行要素とする合成語において、先行要素の末音にㅂがよく現れますが、このㅂは中世語のpsʌrのpの痕跡です。済州道方言には、sitoŋ《糞尿を合わせた肥やし》という語があり、これも中世語のstoŋ(現代語の똥)《糞》と関係があるものと思われます。
16世紀末の文禄・慶長の役の際に、当時の韓国語を仮名で記録した「高麗詞之事」(『陰徳記』所載)という資料があります。そして、その中に、例えば、「スタリ」、「スコグ」といった表記が出てきますが、これらが何を表しているか、推測できますか。
「スタリ」は《娘》、「スコグ」は《雉》の意で、それぞれ中世語のstʌr、skweŋ(現代語の딸、꿩)に対応する語だと思量されます。正確に言えば、これらは慶尚道方言を写したものである可能性が高く、時代的にも15世紀後半を典型とする中世語とは懸隔があるため、stʌr、skweŋという語をそのまま書きつけたものと判ずることはできませんが、それはともかく、昔の韓国語の発音がこうして仮名表記で残存しているのは興味深いですよね。
このように、濃音は、遠いいにしえから韓国語に頻現していたわけではなく、そのほとんど(特に語頭)は中世語の複子音が変化して発生したものだと推知されます(注3)。
ちなみに、面白いことに、琉球語にも濃音のような音が存在し、しかも韓国語と酷似した経路で誕生しています:
*pitö →*ptu→[t’u]《人》(琉球語与那国方言)
*pitöは「ヒト」の古形であり、与那国方言においては、日本語(東京方言)の[o]は[u]に対応するため、[t’u]となっています。首里方言では[tɕ’u]と言い、例えば、「ウチナーンチュ」《沖縄の人》の「チュ」という形に含まれています(注4)。
激音についても、中世語においては、現代語と比べると、出現頻度が相対的に低く、とりわけ軟口蓋音/kh/の場合、khʌi-《掘る》(現代語の캐다)、khoŋ《大豆》、khɨ-《大きい》とその派生語、khi《箕》などの数語に限られていたようです。
現代語で語頭に激音を持つもののうち、칼《刃物》、코《鼻》、팔《腕》などといった語は、中世語ではkarh、koh、pʌrhの如く、語末に形態音韻論的な子音として/h/を有しており、この/h/による一種の逆行的遠隔作用で、激音化が生じたものだと言われています(注5)。なお、現代語の갈치《太刀魚》や고뿔《風邪》に含まれる갈や고は、칼、코の初声がまだ平音であった頃の名残です。
その他、激音には、2音節語幹*hV1CV2における第1音節の母音V1の脱落によって胎生したものもあります。例えば、先にも触れた『鶏林類事』という文献には「乗馬曰轄打」、「大曰黒根」という表記が見られますが、これらはおのおの中世語のthʌ-《乗る》、khɨ-《大きい》の古形*hʌtʌ-、*hɨkɨ-を記録したものと目すことができます。このパターンは、*hV1CV2>ChV2と定式化できるでしょう。
(注1)見てお分かりの通り、複子音にはs-で始まるものと、p-で始まるものがありました。前者を「s-系複子音」、後者を「p-系複子音」と呼びますが、s-系複子音のsは実際には発音しておらず、濃音のマーカーとして表記されていたという説もあります。しかし、ここではいくつかの理由からs-系複子音もp-系複子音も文字通りの複子音だったという立場を採ります。ちなみに、15世紀後半の中央語において、語頭に子音群が立ち得たという事実は、それが通時的には一時的なものだったにせよ、韓国語史の内的問題のみならず、系統論や類型論の問題を考想する上でも注目に価します。系統論的研究において韓国語としばしば比較されるアルタイ諸語では一般に語頭に子音群は立ちません。日本列島=ヤポネシアでは、琉球語宮古大神島方言が、pstu《人》、fkska《二日》の如く、語頭子音群が立ち得ることで有名です。ヤポネシア周辺では、ニヴフ語が、子音連続を許容する言語として知られています。漢語(中国語)上古音においても、kl-などのような語頭複子音が存在したと推定する見解があります。
(注2)ただし、pth-は濃音ではなく、激音に変化します。また、済州道方言ではpt-, pc-も、th-, ch-の如く、基本的に激音へと変わります。
(注3)それでは、中世語には濃音が絶無だったかというと、そうではありません。しかしながら、中世語において、固有語語頭の各自並書(同一の字母を横に並べて書く表記)は、基本的に、ssɨ-《書く》(現代語では《書く》も《使う》も쓰다ですが、中世語で《使う》はpsɨta)、hhje-《引く》の如く、摩擦音のssとhhに局限されました。hhという現代語にはない表記があったのも面白い点ですが、実例としてはhhje-という形態素ひとつしか存在しません。
(注4)「ウチナー」は《沖縄》の意。東京方言の[o]は首里方言では[u]になり、[ki]は口蓋音化を起こして[tɕi]、[awa]は[a:]となるのが原則です。したがって、[okinawa]は[utɕina:]となります。
(注5)ただし、この激音化は、散発的な現象であって、kirh>kir《道》、torh>tor《石》、coh>co《粟》などのように、同じような音的環境であっても、激音化が生じなかった語がいくつも存在します。