第8回 「キムチ」の語源
Q:日本語の難読漢字で「沈菜」(キムチ)というのがあります。「沈菜」を朝鮮漢字音で読むと침채ですので、「キムチ」とは程遠い発音ですが、「沈菜」は日本製の漢語でしょうか。
A:いいえ、日本製の漢語ではなく、朝鮮半島で作られた漢字語だと考えられます。
timchʌi(沈菜)は、『訓蒙字会』(1527年)という文献に、「葅」の訓として初めて出現します。timchʌiはその後「[ti]の口蓋音化」と「第2音節以降における[ʌ]>[ɨ]」という音韻変化によって、cimchɨiとなり、さらにkimchɨi、そして現在の語形김치 kimchiに至ります。[tɕi]>[ki]という変化は、口蓋音化に関する「過剰修正(hypercorrection)」によるものです(注1)。
考えてみると、朝鮮半島の食文化の代名詞のような「キムチ」が漢字語由来だったとは不思議な感じもしますよね(注2)。동치미《大根の水キムチ》の来源も漢字語「冬沈+-이」のようです。なお、《祭祀に用いるキムチ》の意では「沈菜」をそのまま朝鮮漢字音で読んだ침채という語も使用されます。
一方で、中世語には《漬物》を表す固有語として、tihiという語がありました。tihiは、現代語の묵은지《熟成キムチ》、오이지《胡瓜の塩漬け》、장아찌《大根などの醤油漬け》、짠지《大根の塩漬け》や、全羅道方言の지《キムチ》、짓가심《キムチの材料》などの지、찌に繋がるものです。
김치のように、本来漢字語だったものが発音の変化などによって朝鮮漢字音の音相から乖離した結果「固有語化」した語としては、他にも、궐련(<巻煙)(注3)《巻きタバコ》、귀양(<帰郷)《島流し》、동냥(<動鈴)《物乞い》、사냥(<山行)《狩り》、서랍(<舌盒)《引き出し》、성냥(<石硫黄)《マッチ》、수육(<熟肉)《煮た牛肉》、썰매(<雪馬)《橇》、요(<褥)《敷布団》、우엉(<牛蒡)《ごぼう》、자(<尺)《尺、物差し》、조용(<従容)하다《静かだ》、지렁이(<地龍+-이)《みみず》、짐승(<衆生)《獣》、철쭉(<躑躅)《つつじ》などがあります。第3回で言及した영계(<軟鶏)《若鶏》もこの類型に属します。一方で、차례(次例<次第)のように、発音が変化した後も、別字を宛てることで「固有語化」を免れた語も存在します。
また、강《川》、방《部屋》、벽《壁》、산《山》、열《熱》、욕《悪口》、잔《杯》、죽《粥》(注4)、창《窓》、책《本》、회《刺身》などのような1音節漢字語、나사《ねじ》(注5)、나팔《らっぱ》、미음《重湯》、사발《どんぶり》、유리《ガラス》などのような2音節漢字語は漢字語であるという意識が極めて稀薄だと思われます(注6)。身近な母語話者にこうした語に対する語種意識を尋ねてみても面白いかもしれません。なお、강、벽、산については、中世語におのおのkʌrʌm、pʌrʌm、moih(注7)といった固有語が存在していました。しかし、漢文直読の影響もあって、現在では用いられることもなく、完全に漢字語に駆逐されてしまっています(注8)。
さらに、「漢字語」の範疇には帰属せしめることができませんが、古代における漢語(中国語)からの借用語として、먹《墨》や붓(<붇)《筆》(注9)があります(注10)。併せて、부처(<부텨)《仏陀》、적《時》、절(<뎔 邸)《寺》などといった語を挙げる論者もいます。
後代の漢語からの直接借用語と目されるものとしては、배추(<白菜)《白菜》、보배(<寶貝)《宝物》、수수(<薥黍)《モロコシ》、시금치(<赤根菜)《ほうれん草》、자주(<紫的)《赤紫色》、진짜(<眞的)《本物》、탕건(<唐巾)《役人の冠》などが知られています。このうち、자주、탕건にはそれぞれ「紫朱」、「宕巾」という別の漢字が宛がわれ、漢字語として扱われています。
건물《建物》や엽서《葉書》などのように、和語起源の一連の漢字語もありますが、これらが日本語由来であるという意識はほとんどないものと想像されます。
漢字語とは、端的に言って、「漢字表記が可能であり、朝鮮漢字音で読まれる借用語」の謂ですが、中には、동생(同生)《弟妹》や편지(片紙)《手紙》などのように、借用語ではなく、朝鮮製の漢字語も存在します。침채(沈菜)もその一種ですね。
また、「太」などのように、本来の義以外に、朝鮮独自の意味を有する漢字もあります(「太」は「콩《豆》」の意でも使用されます:e.g. 흑태《黒豆》)。「串」もそのひとつで《岬》の意を持ちますが、興味深いことに、《岬》という意味で用いられる場合、「串」は관や천ではなく、곶と訓読みされます。
このように様々な語群を広く見晴かしてみると、固有語と漢字語は必ずしも截然と切り分けられるものではなく、本稿で取り上げたような種々の語を紐帯として、両者は地続きであるということが分かるかと思います(注11)。そもそも「朝鮮漢字音」自体が実は自明ではなく、例えば、「糖」に탕(cf. 설탕(雪糖)《砂糖》)、「提」に리(cf. 보리수《菩提樹》)、「炎」に렴(cf. 폐렴《肺炎》)という字音を認めるか否かなど、未決の問題を包含しています。
漢語以外からの借用語については、ここでは触れませんが、数こそ少ないものの、高麗時代に流入したモンゴル語からの借用語もあることは知っておいてよいでしょう。例えば、ソウルにある보라매공원の보라매《狩猟用の1歳未満の鷹》に含まれる보라はモンゴル語起源(<boro)です(注12)。
(注1)現在でも南部方言においては、기름《油》を지름と言うように、[i]や[j]の前で[k]が[tɕ]となる口蓋音化が頻見されますが、こうした現象は比較的早い段階から起きていたものと思量されます。中央語では生じなかったこのタイプの口蓋音化に対して、南部方言話者の間で規範意識が働き、本来[k]ではなかった[tɕ]までが[k]に直されるということがあったようです。そして、それが中央語にまで影響を与え、질삼>길쌈《機織り》、짗>깃《羽》、치>키《舵》、디새>지새>지와(-瓦)>기와《瓦》、맛디->맛지->맡기-《任せる》のように、一部の語彙において、「逆口蓋音化」とも称されるこうした過剰修正が生じました。cimchɨi>kimchɨi>kimchiにおけるc>kという変化も、この現象の一例として位置付け得ます。
(注2)なお、江戸時代には、「キムチ」のことを「キミスイ」と呼んでいました。とはいえ、当時はキムチは日本においてまだ一般的な食べ物ではなく、対馬の朝鮮語通訳者などの職業語としてのみ使用されていたようです。「…スイ」という音から、ɨi>iという発音変化(二重母音の単母音化)が生じる前の借用語だということが見取れます。
(注3)音韻論的には권연>권년>궐련という変化が考えられ、ㄴ+ㄴ→ㄹ+ㄹとなる現象をlambdacismと呼ぶ研究者もいます。この現象は、ソウル方言ではごく一部の漢字語で起こり(e.g. 곤란(<困難)、관념[관념~괄렴]《観念》)、咸鏡道方言では固有語においても稀に起こることがあるようです(e.g. 건너가-[걸러가]《渡っていく》)。
(注4)ちなみに、日本語の「かゆ」は「粥」の訓読みですが、音読みは「しゅく」です。「粥腫」や「糜粥」、「粥座」などといった語がありますが、医療や仏教に詳しい人以外にとって、これらは難読漢字のようです(ただし、「粥腫」と「糜粥」の「粥」は「じゅく」と読みます)。
(注5)共和国(北朝鮮)の正書法ではいわゆる「頭音法則」が適用されませんが、共和国でも《ねじ》は라사ではなく나사と表記されることは、この語が「固有語化」していることを物語っています。《らっぱ》や《ガラス》についても同断で、それぞれ라팔ではなく나팔、류리ではなく유리と表記されます。
(注6)日本語にも「絵(え)」、「駅(えき)」、「菊(きく)」、「柵(さく)」、「肉(にく)」、「幕(まく)」などのように、音読み、つまり漢語という意識が薄い語がありますね。
(注7)moihは現代語でも、메아리《山びこ》、멧돼지《猪》、멧새(멥새とも)《ホオジロ》などといった合成語の中に把持されています。また、現代語において単独で뫼というと普通《墓》の意になります。「山」と「墓」は関係が深く、산소《墓(尊敬語)》、산지기《墓守》といった語もあります。
(注8)固有語が漢字語に置き換えられた例としては他にもいろいろあります:e.g. mirɨ→용《龍》(미르は미리내《天の川》の미리の古形)、sjurup→우산《雨傘》、’azʌm→친척《親戚》、’on→백《百》、’orai→대문《門》、cɨmɨn→천《千》
(注9)日本語の「ふで」も音形が類似していますが、「ふで」は「ふみて(文手)」に起源するもので、漢語との関連性はないと考えられています。
(注10)日本語の「馬(うま)」、「梅(うめ)」、「鬼(おに<隠)」、「銭(ぜに)」などといった語が古代に漢語から入ってきた借用語と見做されているのと似ています。
(注11)さらに、日本語の場合には、おほね→だいこん(大根)、かへりごと→へんじ(返事)、ひのこと→かじ(火事)、ものさわがし→ぶっそう(物騒)の如きいわゆる「和製漢語」が存在するなど、和語と漢語はより相互浸透的で、渾然一体としたものになっているように見えます。
(注12)他に、現代語の辞書にも立項されているモンゴル語起源の語としては、가라말《黒毛の馬》、고두리《矢の一種》、송골매《ハヤブサ》、악대《去勢した動物》、업진《牛の胸肉》、오늬《矢筈》、타락《牛乳》などがあります(中世語にはもっと多くありました)。