断片の織りなす森を歩く──新宿・王城ビルのゴダール展(片岡大右)
7月4日より、新宿・歌舞伎町の王城ビルにてジャン=リュック・ゴダール展が開催中だ。フランス/スイスの神話的映画作家は、2022年9月に91歳で自殺幇助により世を去る直前まで作品制作を続け、安楽死の前日に仕上げた18分の短編『シナリオ』は、真の遺作として今秋劇場公開が予定されている。しかし完成された長編としては、2018年の『イメージの本』が最後の作品となった。《感情、表徴、情念 ゴダールの『イメージの本』について》と題された今回の展覧会は、この最後の長編映画を構成する映像・音響素材をもとに、2002年以来ゴダールの傍らで作品制作を支えてきたスイスの映画作家ファブリス・アラーニョの手により実現されたものだ。
点在するモニターと本(展示風景より)©️Daisuke Kataoka
したがって、用意周到に臨むなら、事前に映画本編──幸い、複数の配信サービスで手軽に繰り返し視聴することができる──に触れておくに越したことはない、ということになるのかもしれない。本展では4階建てのビルの各フロアに設置された多数のスクリーンやモニターに映像が映し出され、各所のスピーカーから音響が響いてくるのだけれど、日本語字幕もなければ、理解を促す解説の類もいっさい存在しないからだ。
しかしまた、そんな細心または小心な配慮は抜きにして、まずは会場を訪れてしまうのも一興だろう。じっさい、自作を含む過去の映画に加え、様々な絵画や著作からの引用によって織りなされた『イメージの本』本編を見たところで、どれほどのことがわかるというのだろうか。マノエル・デ・オリヴェイラは1993年にゴダールの映画を定義して、「説明の不在という光に浸された壮麗な徴で溢れている」と語ったものだ。この定義はそのまま、『イメージの本』にも当てはまる。ゴダール自身はといえば、この最後の長編作で、ブレヒトの言葉を借りつつ、「ただ断片だけが真正さの証しを備えている」と主張してみせる。断片とは、「生産行為の最も内的な働きに最も近しいものなのだから」、というのだ。
ランダムに投影される映像(展示風景より)©️Daisuke Kataoka
なおこの断片をめぐる一節は、ペーター・ヴァイス『抵抗の美学』に基づいている。今回の展覧会では、会場のあちこちに『イメージの本』およびゴダールとゆかりのある書物が置かれているのだけれども、4階の展示を見終わり1階に降りていく訪問者は、エミール・シオランの一連の日本語訳の傍らを通り過ぎたあと、最後にこのヴァイスの書のドイツ語原書に出会う。同書の重要性がこうして示唆される構成になっているわけだ。
たしかにこうした発見は楽しい。しかし繰り返すなら、本展を見るために『イメージの本』の予習は必須ではないし、さらにいえば、あらかじめゴダール作品に親しんでいる必要さえないのかもしれない。ファブリス・アラーニョは、『シナリオ』特別先行上映後の黒沢清とのトークの最後に本展に触れ、「ゴダール・ファン以外」にも来てほしいと語っていた。本展を訪れる者は、単にゴダールの思索を追体験するだけでなく、自分自身とも出会いなおすだろうから、というのだ。説明を欠いた気がかりな映像や音響の交錯するただなかに身を置き、性急な理解を求めることなしにそれらの断片を受け止める心構えさえあれば、本展の訪問はこのうえなく充実した経験となるに違いない。
フロアの設備を活かした空間設計(展示風景より)©️Daisuke Kataoka
《感情、表徴、情念 ゴダールの『イメージの本』について》展
2025年7月4日~8月31日、東京都新宿区・歌舞伎町、王城ビルにて開催中
映画『イメージの本』
映画『シナリオ』
2025年9月5日より、Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下、シモキタ-エキマエ-シネマ K2、Strangerほか全国順次公開
https://www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/25_scenario.html
片岡大右(かたおか・だいすけ)
批評家・東京大学ほか非常勤講師。主要著書『批評と生きること 「十番目のミューズ」の未来』『隠遁者, 野生人, 蛮人 反文明的形象の系譜と近代』、主要訳書グレーバー『民主主義の非西洋起源について 「あいだ」の空間の民主主義』、ベニシュー『作家の聖別 フランス・ロマン主義〈1〉』(共訳)