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「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」辻野裕紀

第7回 ハングルの「ハン」とは何か

Q:한글《ハングル》とはもともと「偉大なる文字」という意味だと聞きましたが、なぜ「한」が「偉大なる」という意味になるのでしょうか。

A:たしかに韓日辞典などを引いても、하다という見出し語に「偉大だ」という意味は載っていませんよね。実はこれは現代語ではなく、中世語のhataという形容詞に由来するものです(注1)。中世語のhataには많다《多い》と크다《大きい》という2つの意味がありました(注2)。そして、크다のほうの意味がいささか大仰に訳されて、「偉大なる文字」、「大いなる文字」などといった日本語訳が定着したわけです。一方で、「한」は대한제국《大韓帝国》(注3)の「한」から来たとする、別の有力な説もあって、衆目の一致を見ていません。また、語源は措くとしても、共和国(北朝鮮)では、「한」が「韓」に通ずるということで、우리 글《我々の文字》、조선글자《朝鮮文字》などと称されているようです。
 한글という呼称は、近代朝鮮語学の鼻祖・周時経(1876-1914)によって命名されたと言われています(注4)。周知の如く、ハングルが創制(注5)されたのは15世紀中葉で、周時経が「ハングル」と名付けるまでは、「諺文(おんもん/げんぶん)」、「正音」、「訓民正音」などと呼ばれていました。『朝鮮王朝実録』のような歴史的記録においては、長らく「諺文」という言い方が最も一般的だったようです。「諺文」の「諺」はvernacularの意で、世界語たる「漢文」に対して、自分たちのことばを指称するものです。そもそも朝鮮において、「文 글」とは専ら漢字漢文のことであって、自民族の言語を表すときには、「諺」のほか、「俚」や「郷」、「方言」などといった漢字・表現が用いられていました。「訓民正音」という名称は、文字通りには「民に訓える正しい音」という意味で、1446年に公布された、ハングルについての解説書の題名でもあります。むしろ書名としての用法が第一義的だったと考えられ、また、文字の名称が「正しい」となっていることについては、研究者たちの詮議の的となってきました。最近の研覈(けんかく)の中には、一種のメトニミー(換喩)(注6)と見做す所見もあります(注7)

 中世語のhataは、現代語でも、할아버지《おじいさん》、할머니《おばあさん》、한길《大通り》(ウムラウトと鼻音の逆行同化が起きて행길とも言う)、하도《とても》などの中にも保持されています。《大きな心配事》を意味する한걱정、한시름の한も同様でしょう。할아버지、할머니は字義的には「大きいお父さん」、「大きいお母さん」ですので、英語のgrandfather、grandmotherと構造的に酷似しています(注8)
 한강《漢江》の한も《大きい》を意味するという説があります。中世語で《川》の意のkʌrʌmを含んだ한가람という古称もよく知られていますね。また、대전《大田》に한밭대학교という大学がありますが、한밭は대전の古名です。한が대(大)、밭が전(田)に対応する固有語であるということは一目瞭然だと思います(注9)
 現在、朝鮮半島の地名の多くは漢字語ですが、このように固有語由来の地名も数多くあります。例えば、古くは、ソウルの수유리(水踰里)は무네미(<물《水》+넘-《越える》+-이)、마포(麻浦)は삼개(<삼《麻》+개《浦》)と呼ばれていたようです。ソウル地下鉄の駅名にも、까치산、선바위、굽은다리のような固有語地名が散見され(注10)、面白いことに、아현(2号線)と애오개(5号線)のように同一の地名(前者は漢字語、後者は固有語)がそれぞれ別の駅名として使用されていたりもします。아현は「阿峴」と表記されますが、本来は「兒峴」《子どもの峠》だったと言われ、애오개も同じ意味です。오개は元々고개《峠》であり、下降二重母音の直後でㄱが脱落したものと考えられます。노량진(鷺梁津)の량と노들の들、광진구(廣津區)の진と광나루の나루の関係も同断です。
 誰もが知る서울《ソウル》という地名の語源も注目すべきものです。中世語の文献には、sjeβɨrやsje’ur(h)といった形で現れますが、これは新羅時代に「徐羅伐」(sjerapɨr)と表記されていた地名にまで溯源し得ます。新羅は、辰韓十二国のひとつであった「斯盧」が建てた国ですが、やがて漢語の音韻変化に伴い「斯羅」と記されるようになります。そして、このsira(斯羅)に《集落、城邑》を表すpɨr(伐)が結合したsirapɨrという形が生じ、さらに「iの折れ(breaking of i)」が起きた結果、sjerapɨr(徐羅伐)《新羅の町》という語が形成されました。
 なお、siraに、新羅語のpɨrではなく、百済王族語(注11)の「己」《集落、城邑》が付いた形が日本列島に渡来し、それによって、日本語で「新羅」を「シラギ」(古くは「シラキ」で「キ」は乙類)と読むようになったと言われています。「城(キ)」という語そのものも上代日本語に借用され、「水城(みづき)」、「奥つ城(おくつき)(注12)」、「築く(きづく)(<城+築く)(注13)」、「茨城(いばらき)」などにその痕跡が窺えます。
 さらに、朝鮮半島北部には、いにしえからツングース系の女真人(満洲人)が暮らしており、15世紀以降に「朝鮮化」した咸鏡道地域では、19世紀末まで女真語(満洲語)の村名が使われていたという記録があります。現在でも、두만강(<tumen《万》)や종성(<tungken《鐘、鼓》)などといった女真語を来源とする地名が残存しているのは、日本の北海道や東北地方にアイヌ語由来の地名が頻見されるのとも似ており、たいへん興味深いことです(注14)
 話頭がハングルの「ハン」から大きく逸脱してしまいましたが、固有名詞学(onomastics)、なかんずく、地名学(toponymy)に関する知見も、韓国語を歴史言語学的に熟思するためには非常に重要です(注15)

 

(注1)なお、hataは現代語の하다《する》とは全く関係のない単語で、現代語の하다に相当する中世語はhʌtaでした。
(注2)hataが《多い》と《大きい》の双方の意を併せ持っていたのは、日本語の上代語の「おほし」とも類似しています。現代日本語の《大きい》の意味は、上代語では「おほし」が担っており、中古以降「おほきなり」という形容動詞が用いられるようになりました。前回取り上げた「意味の縮小」の一種です。
(注3)李朝の高宗の時から日本に併合されるまで(1897年から1910年まで)の国号。
(注4)周時経やその学統を汲む崔鉉培らは、固有語の言語学用語を案出したことでも知られています。例えば、形態素を늣씨、音声学を소리갈と呼んでおり、それまで「諺文」、「正音」などといった漢字語で呼ばれていたものを한글と名付けたのもその一環でしょう。この流れは現在のハングル学会にも承継されています。ハングル学会は周時経のあとを継いだ研究者たちが1921年に結成した朝鮮語研究会(1931年に朝鮮語学会と改称)に淵源を持つ学会であり、朝鮮語学会は1942年に「朝鮮語学会事件」という言語弾圧事件を蒙ります。本連載で扱う余裕はありませんが、日本で韓国語を学び教える者であれば、必ず知っておくべき出来事だと思います。詳細は、拙論「ことばを喪失するということ、ことばを記録するということ:映画『マルモイ ことばあつめ』によせて」(『言語文化論究』46、九州大学大学院言語文化研究院、2021年)をご参照ください。

(注5)「創製」と書かれることもよくありますが、「創制」という漢字表記が正しいです。
(注6)近接性や関連性に基づいて、一方の事物・概念を表す語を他方の事物・概念を表すのにも用いる比喩を「メトニミー」と謂います。例えば、「一升瓶を飲み干す」、「トルストイを読む」のような類の表現です。
(注7)福井玲(2023)「趙義成訳注『訓民正音』に寄せて」、趙義成訳注『訓民正音』、平凡社
(注8)琉球語の「ウフータンメー」《曾祖父》(lit. 大きい祖父)などを想起する方もいるかもしれません。
(注9)「田」は本来《畑》を意味する漢字です。韓国で《田》を表す漢字としては「畓」という国字(朝鮮製の漢字)があります。字形が「沓」と似ていることから、「沓」と同じく답と発音されます。
(注10)ただし、言うまでもなく、까치산の산は漢字語です。
(注11)百済は支配階級と非支配階級とで言語が異なる二重言語状態にあり、前者は夫餘系言語、後者は韓系言語を使用していたと言われています。なお、百済民衆語で《集落、城邑》はpɨri(<piri)であり、それがapocope(語末音脱落)を起こした形が新羅語のpɨrだと推考されます。
(注12)「つ」は上代日本語の属格助詞で、「まつげ(目つ毛)」の「つ」などと同じものです。
(注13)「築く(つく)」は、「塚(つか)」と関係があり、「塚」は「築く」の情態言だと考えられます:cf. くま(隈)~くむ(隠む)、なは(縄)~なふ(綯う)、はら(原)~はる(墾る)、むら(村)~むる(群る)、をさ(長)~をす(治す)
(注14)女真語の語彙は、심마니《朝鮮人参採集者》のジャーゴンにも認められますが、これも、マタギの山言葉にアイヌ語が見られるのと類似していて、面白い事象です。
(注15)本稿ではこれ以上詳しく触れませんが、他にも、高句麗語の地名に日本語と相似した語が観察されたり、全羅北道の임실(任實)のように、古代語に遡ると考えられる形態素が含まれている地名があったりと、地名に関する言語学的関心は尽きません。

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著者略歴

  1. 辻野裕紀(つじの・ゆうき)

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府言語・メディア・コミュニケーションコース准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京外国語大学外国語学部フランス語専攻卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国ソウル)専任講師を経て、現職。専門は言語学、韓国語学、音韻論、言語思想論。文学関連の仕事も。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』(九州大学出版会、2021年)など。
    (写真:©松本慎一)

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