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「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」辻野裕紀

第12回 アクセントと長母音

Q: 日本語では「はし(箸)」と「はし(橋)」のように声の高さで意味を区別したりしますが、韓国語ではそのようなことはないと聞きました。昔からそうなのでしょうか。

A:おっしゃる通り、日本語(東京方言)では、Hを高調、Lを低調とすると、「箸」はHL、「橋」はLHと発音しますね。このように音節の高低が弁別的に機能する言語を「高低アクセント言語(ピッチアクセント言語)」と謂います。なお、同じ「はし」でも「端」はLHと発音され、一見「橋」と区別がつきませんが、助詞「が」を付けると「端が」はLHH、「橋が」はLHLとなって違いが出てきます。
 英語もアクセント言語ですが、英語の場合は音節の高低ではなく、音節の強弱に弁別性があり、そういったタイプのアクセント言語は「強弱アクセント言語(ストレスアクセント言語)」と呼ばれます。
 では、韓国語はどうかと言うと、現代語(ソウル方言)ではご指摘のように、音節の相対的な高低に弁別性はありません。しかし、中世語は「高低アクセント言語」でした。「声調」と呼ぶ研究者も多いですが、中国語などの声調とは明らかに異なり、「アクセント」と見做すのが妥当だと考えられます。
 文献上でも、音節ごとに声の高さが「傍点」と呼ばれる点によって記譜されており、文献を実見することで、当時の音調を概ね窺い知ることができます。とりわけ訓民正音創制直後の15世紀の文献には、ほぼ例外なく傍点が付されており、印刷された版本のみならず、『上院寺御牒・重創勧善文』(1464年)(注1)の如き手稿にも付点されていたのは愕眙(がくち)すべき事実です。このように、分節音だけでなく、韻律的な要素までをも表記に反映させていたことは書記史的に興味深いと思います。弁別的な要素は徹底的に形象化するという、訓民正音の思想の顕現であると言ってよいでしょう。
 具体的には、傍点が各文字の左側に1点付されていれば高い音節(去声=H)、2点付されていれば最初が低く後が高い上昇調の音節(上声=R)、無点であれば低い音節(平声=L)を表します(注2)。上声は、平声と去声とが複合したものです。
 中世語のアクセント体系は、単一のアクセント句内において、どこから音調が上がるかが音韻論的に有意義でした(注3)。いわゆる昇りアクセント核(昇り核)を有する言語であり、アクセント句の最初の去声の後の音調は、後で述べる「句音調(注4)」により自動的に決まります。これを「律動規則」と称します。中世語のアクセント体系は次の通りです(注5)

中世語のアクセント体系とその語例

〇 (L) 〇〇 (LL) 〇〇〇 (LLL)
[〇 (H) [〇〇 (HF) [〇〇〇 (HFF)
  〇[〇 (LH or R) 〇[〇〇 (LHF or RF)
    〇〇[〇 (LLH)

 

koc《花》 mʌzʌm《心》 sonskarak《指》
mom《体》 kurum《雲》 mɨcikei《虹》
  narah《国》、torh《石》 mjenɨri《嫁》、sarʌm《人》
    kajami《蟻》

 

 中世語の「句音調」は複雑ですが、訓民正音創制直後の文献に局限すると、単一のアクセント句において、最初に現れる去声は絶対的で、それ以降は音韻論的には高調と見做されます。しかし、実際には高調が3モーラ以上連続することは原則的にありません。これを〈去声不連三〉と呼びます。具体的には次のようになります:

H〇→HH
H〇〇→HLH
H〇〇〇→HHLH
H〇〇〇〇→HLHLH

LH〇→LHH
LH〇〇→LHLH
LH〇〇〇→LHHLH
LH〇〇〇〇→LHLHLH

LLH〇→LLHH
LLH〇〇→LLHLH
LLH〇〇〇→LLHHLH

 また、語末で高調が2つ連続する場合には、…HH→…HL のように、最後の高調が低調=平声に交替する場合があります。これを「語末去声交替」ないし「語末平声化」と称呼します。

 韓国語中央語における弁別的なアクセントは、16世紀末葉には消滅します。このことは、『小学諺解』(1588年)や『四書諺解』(1590年)などの文献において、傍点表記が極度に乱れて、規則性を見出すことができないことから見取れます。
 その後、上声は、ソウル方言においては、長母音に変化し、アクセントが母音の長短へと相転移します。例えば、中世語で上声だった눈《雪》は[nu:n]、去声だった눈《目》は[nun]と発音されることで、両者の区別が保たれます。
 しかしながら、現在では、母音の長短の示差性も事実上崩壊しており、母音の長短によって、意味が弁別されるのは、一部の老年層の話者、それも第1音節に限局されます。
 なお、慶尚道方言や咸鏡道方言などの一部の方言には、現在でも弁別的な高低アクセントが維持されています。しかし、こうした方言のアクセントも、標準語やソウル方言の影響もあって、漸次変化しつつあり、それらを細緻に調査することは、韓国語研究者にとっての喫緊の課題です。

 

(注1)世祖(せいそ)による、ハングル最古の手稿です。
(注2)平声、去声、上声といった用語が、中国語学の四声に由来することは表然著明ですが、各々の声調の音調的実質は、漢語(中国語)のそれとは異なります。なお、韓国語学では平声は「へいせい」、去声は「きょせい」、上声は「じょうせい」と読むのが一般的です。
(注3)この点で、日本語の岩手県雫石方言や青森県弘前方言などのアクセント体系に似ています。なお、日本語の東京方言は、中世語とは反対に、どこから音調が下がるかが示差的なアクセント体系です。
(注4)語固有にあらかじめ付与された、弁別性を有するアクセントとは異なり、当該言語(方言)において、一息で発音される単位に共通して現れる、非弁別的な音調のことを「句音調」と呼びます。イントネーションの一種です。例えば、現代日本語東京方言において、「いとこ(が) LHL(L)」、「おとこ(が) LHH(L)」、「こども(が) LHH(H)」はすべてアクセント核の位置が異なりますが(「こども(が)」は無核)、第1モーラから第2モーラにかけて音調が上昇するという点は共通しています。このように、東京方言では、「おやこ(が) HLL(L)」のように第1モーラにアクセント核がある場合を除き、共通して、頭に音調の上昇が観察されます。これは、アクセントと違って、語が各々固有に持っている特徴ではありません。このことは、例えば、各単語の前に「あの」を付けてみれば分明です。「あのいとこ(が)」、「あのおとこ(が)」、「あのこども(が)」において、「あの」の直後に休止を置かず一息で発音すると、それぞれを単独で発音した際に観察された音調の上昇は消滅し、代わりに、「あの」の「あ」から「の」にかけて上昇が生じます。こうした、東京方言に見られる句頭の音調上昇も句音調の一種です。
(注5)〇はモーラで、昇り核は [ で表記します。昇り核はそれが置かれたところから上がる力であり、置かれた音節の次の音節を上げる力である「上げ核」とは異なる点に留意してください。Fは音韻論的には意味のない任意の音調です。

 

*第13回以降は2024年1月より再スタートします。

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著者略歴

  1. 辻野裕紀(つじの・ゆうき)

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府言語・メディア・コミュニケーションコース准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京外国語大学外国語学部フランス語専攻卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国ソウル)専任講師を経て、現職。専門は言語学、韓国語学、音韻論、言語思想論。文学関連の仕事も。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』(九州大学出版会、2021年)など。
    (写真:©松本慎一)

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