白水社のwebマガジン

MENU

中村隆夫「19世紀のオカルティストたち」

第2回 神秘主義とは

 今回は神秘主義について話をしていこうと思う。それにしても神秘主義っていったい何なのだろう。神秘主義mysticisme、オカルティスムoccultisme、魔術magie……厳密な区別はさしおいて、ここではそのすべてをひっくるめて神秘主義と呼ぶことにしたい。あらゆる宗教形態は神秘主義であるといえるし、魂と神の合一を求めるものもこの名称で括られるだろう。

 だが、天使や精霊などを召喚して世界と人間の進化を求める「白魔術」と、悪魔や悪霊に奉仕する「黒魔術」があるように、よかれと思って生まれた神秘主義のなかにも邪悪なものへと変質していったものが多々あることを忘れてはならない。全般的に善を求める神秘主義の根底にあるものはある種の救済論である。

 プラトンによれば永遠不変のイデア界に似せて善性を本性とする神デミウルゴスが世界を創造したが、既に存在する物質を材料として使用したために、世界は不完全なものとなってしまった。そのため物質界はイデア界を手本にして変貌していかなければならない。グノーシス派では原初の世界は至高神アイオーンによって創造されたが、私たちが住んでいる世界を創ったのはこれよりも劣るヤルダバオートあるいはデミウルゴスと呼ばれる神であった。これは旧約聖書における創造主の神に匹敵するもので、プラトンの考えと同じように世界の創造の素材として物質が使用された。それ故、人間は神の霊を持ちながら肉体という牢獄に繫がれていることになる。救済のためにはグノーシス(霊知)が必要であるというのが、グノーシス派の基本形である。

 旧約聖書の「創世記」では、アダムとイヴは神から禁じられていた知惠の実を食べて堕落したが、その発端は蛇がイヴを騙したことによる。そこで正当キリスト教では蛇は悪魔の象徴と見なされる。しかし物質的世界を悪と考えるグノーシス派では、アダムとイヴに木の実を食べるように促して「霊知」を授けた蛇は善なるものの象徴だった。ウロボロスと呼ばれる自分の尾を嚙んでいる蛇の図像は、自らの死と再生を意味し、グノーシス派においては復活したキリストの象徴となる。この円環状の蛇は初めと終わりを示し、ヨハネ黙示録の21 章6 節の「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである」というキリストの言葉と呼応している。

 さて、ウロボロスを重要な象徴として用いているものに錬金術がある。ウロボロスの象徴に言及する前に、まず錬金術の基本形について話をしておかなければならない。錬金術師たちは黄金変成、不老不死を目的のひとつにしたが、究極の目的は上記の救済論にあるように、不完全な人間が神のような存在になることにある。しかし神のようになって世界を自分の意のままにしようとするなら、それは黒魔術に堕してしまう。錬金術師たちは霊的にも自分を高めるように精進しなければならない。

 彼らが不老不死を追求したのは、病を治癒する薬を得ること、すなわち不完全な状態から完全な状態へといたることを意味したのである。では黄金変成はといえば、不完全な卑金属を完全なものであると考えられた金へと生成発展させることにあった。

 錬金術では金属は鉄→銅→鉛→錫→水銀→銀→金という変成をたどるが、それに必要なものは「賢者の石」pierrephilosophale である。これを手にすることができれば不老不死も宇宙の完成も可能になるという代物で、これを哲学者の卵と呼ばれるフラスコで創り出すことに躍起になる者が多かったが、達人adepteと呼ばれる人たちはこの作業と同時に霊的に高まることをも同時に追求した。錬金術師というと詐欺師という言葉がすぐに連想されるが、黄金変成に成功したと偽る者、あるいは富だけを求める者がいたことに由来する。だが真の錬金術師とはadepte のことをいうのである。

 ヘルメス・トリスメギストスがエメラルド版に書いたと伝えられるテキストの冒頭にはこう書かれている。「これは偽りのない真実、確実にして、この上なく神聖なことである/ 唯一なるものの奇跡を成し遂げるにあたっては、下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとし/万物が一者から一者の瞑想によって生まれるがごとく、万物はこの唯一なるものから適応によって生じる」

 錬金術の根幹を成すヘルメス思想では、マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙=人間)が照応し合っているという考え方が根本にある。「哲学者の卵」もひとつの小宇宙であるから、彼らの実験が成功すれば宇宙もまた完全なものへと導かれる。また錬金術師たちは万物は神の霊である第一質料prima materia から生じていると考えた。ここから「一は全」というキーワードが生まれ、ウロボロスは円環状をなしているために完全であり、まさに「一は全」である第一質料を象徴することになった。

 錬金術、ヘルメス思想、フリーメーソン、占星術、タロット、薔薇十字はどこかで通じ合っている。エリファス・レヴィなど、19 世紀にこんな魔術に精通した魅力的な人たちが多くいたことは何とも興味深い。

◇初出=『ふらんす』2016年5月号

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 中村隆夫(なかむら・たかお)

    多摩美術大学教授。訳書カバンヌ『ピカソの世紀』『続・ピカソの世紀』

フランス関連情報

雑誌「ふらんす」最新号

ふらんす 2024年5月号

ふらんす 2024年5月号

詳しくはこちら 定期購読のご案内

ランキング

閉じる