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中村隆夫「19世紀のオカルティストたち」

第7回 黒魔術師 スタニスラス・ド・ガイタ

 19世紀フランスのオカルティストで最も大きな影響を与えたのはジョゼファン・ペラダンだと前号で書いた。しかし最も偉大なオカルティストはスタニスラス・ド・ガイタ侯爵(1861-1897)だという研究者が多い。彼はペラダンよりも2歳若い。

 ロレーヌ地方のアルテヴィルの城で生まれたガイタは、ディジョンのイエズス会のル・ジェニッセル神父から宗教的な影響を受け、1878 年10 月に入学したリセで小説家、国家主義者となるモーリス・バレス(1862-1923)と無二の親友になった。「(ガイタとの生活は)過去へと記憶を残すことではなく、未来を約束で満たしてくれるものだった。……その頃の私たちは傑作と同時に煙草やコーヒー、青春にふさわしいものすべてを発見したのだった」とバレスが回想している。

 1882 年パリで勉強することになったガイタはそこでもバレスと一緒で、カルティエ・ラタンでは「象徴主義宣言」を書いたジャン・モレアス、カテュル・マンデスといった年の近い詩人や、年長のマラルメ、ヴェルレーヌらとも交友を持った。ガイタは『渡り鳥』(1881)、『黒いミューズ』(1883)、『神秘の薔薇』(1885)と3 冊の詩集を出したが、ボードレールの影響を強く残すものばかりだった。青春時代の友バレスとの関係は1886 年頃まで続くが、やがてヒビが生じてきた。原因のひとつにはガイタとバレスとのあいだにルイーザという女性との三角関係があったことが挙げられるが、さらに重要なことはバレスが1883 年に雑誌に発表した文章でいち早く成功を手にしたことだった。ガイタは友について「彼は第一に才能豊かであり、何と言っても成功する才に長けており、……うぬぼれが強く横柄だ……」と書いている。

 さて、ガイタがオカルティスムに転向したのはいつ頃からだろうか。詩を書いていた頃からとみる研究者がいる。『有毒な花』Fleurs Vénéreuses にこんな一節がある。

 しかし我らは畏れる魔法の力、
 神秘学、亡霊、憤激を
 激しく眠気を誘う黒い香気について
 我らは恐怖に打ち震えことなく語ることなどできない
 

 彼に決定的な影響を与えたのは、ペラダンの『至高の悪徳』(1884)だった。ガイタ23 歳のときだった。1884 年12月3 日のペラダン宛の手紙には書き出しに「Monsieur」とあり、続いて「何の面識もないままいきなりお手紙をさし上げる無礼をご容赦下さい。/ 私はあなたのすばらしい著書『至高の悪徳』を読みました、何度も読み返しました」と書いている。これだけでもガイタの熱狂ぶりが窺えるが、さらに1884 年9 月15 日付のペラダン宛の手紙には、その衝撃の強さが率直に記されている。「──あらゆる聖なるものに対して懐疑的だった私に──カバラと高等魔術がまやかしなどでないことを教えてくれたのは、あなたの著書『至高の悪徳』です」と。

 そしてペラダンに影響されてエリファス・レヴィを熱心に読んだだけではなく、オカルトに関する書物を買い集め、知識をどんどん吸収していった。そしてカバラの重要性を再認識し、ヘブライ語までマスターしてしまうという長足の進歩を遂げたのだ。ガイタにとって最初の師はペラダンだったが、短期間に追いつき追い越したという意識が芽生えたのだろうか、「Monsieur」という手紙の書き出しが、しばらくすると「cher Confrère」へと変化していった。ガイタは『呪われた学問の試論』という総題の下に4 冊の本を出版したが、その最初の『神秘の戸口で』(1886)が即座に評判となり、25 歳にしてフランス・オカルト界のトップの座を占めることになった。そしてペラダン、パピュス(1865-1916)らとともに1888 年に「薔薇十字カバラ団」を設立し、彼が総団長の座に就いた。

 薔薇十字の歴史は定かではないが、ドイツの神学者で著述家のヨハン・ヴァレンティン・アンドレーエ(1586-1654)が匿名で発表した『友愛団の名声』(1614)、『友愛団の信条』(1615)、『化学の結婚』(1616)が評判となったことに端を発する。デカルトは薔薇十字の秘密結社に入りたくてドイツ中を探しまわったが空しく帰ってきたと言われるように、その影響はパリでも絶大なものがあった。ルイ13 世の宰相リシュリュー(1585-1642)は、図書館情報学の祖であるガブリエル・ノーデ(1600-1653)に薔薇十字に関する調査を依頼したほどである。19 世紀フランスでは多くの秘密結社がこの薔薇十字を引き合いに出しており、それがはっきり薔薇十字として結実したのがガイタの「薔薇十字カバラ団」だった。

 ガイタはアルテヴィルの城とパリとの二重生活を送っていた。パリのアパルトマンではすべての部屋の壁紙やカーテンは真っ赤で、彼が外出するときは夜を好み、しかも稀覯本を探しに行くときだった。また戸棚のなかに一匹の悪魔を飼っており、ガイタはそれを手足のように使っていたとか、食堂の片隅に幽霊が出るなどと噂された。彼が『サタンの寺院』で「悪のために自然の隠された力を利用すること」と定義した妖術を使っていたとも言われ、彼は黒魔術の色彩が濃厚な人物だった。

 そんなこともあってか、ペラダンは何の前触れもなく「薔薇十字カバラ団」を脱退し、1890 年5 月「聖杯聖堂のカトリック薔薇十字団」を設立した。世間では面白おかしく「薔薇戦争」と呼んで話題にした。次回はガイタとペラダンの思想と「薔薇戦争」について触れることにしたい。

◇初出=『ふらんす』2016年10月号

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著者略歴

  1. 中村隆夫(なかむら・たかお)

    多摩美術大学教授。訳書カバンヌ『ピカソの世紀』『続・ピカソの世紀』

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