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中村隆夫「19世紀のオカルティストたち」

第3回 エリファス・レヴィ 数奇なる生涯


エリファス・レヴィ


 19世紀の最も偉大なるオカルティストといえば、迷わずエリファス・レヴィ(1810-1875)の名前を挙げたい。『高等魔術の教理と祭儀』(1854、以下『高等魔術』)、『魔術の歴史』(1860)、『大いなる神秘の鍵』(1851)で、錬金術、カバラ、占星術といったヘルメス学を統合整理するとともに、学問として体系化しようと試みた。

 ヴィクトル・ユゴー、ボードレール、ランボー、ヴィリエ・ド・リラダン、マラルメ、フランス以外ではW.B.イェイツ、20世紀に入ってからはアンドレ・ブルトン他シュルレアリストたちが、レヴィの著作から多大な影響を受けている。ボードレールの『悪の華』のなかの“Correspondances” (福永武彦が『万物照応』と訳したのは賞賛に値する)は、レヴィの詩“Correspondances”や彼の思想から大いなる霊感を受けていることが指摘されている。またランボーは故郷のシャルルヴィルの図書館で『魔術の歴史』を読み耽ったという。

 エリファス・レヴィは1810年、パリの貧しい職人の家に生まれた。本名はアルフォンス・ルイ・コンスタン。病気がちで、超自然的な力に恵まれ、頭もよく、将来司祭となることを嘱望されて育った。そんな彼は1825年にサン・ニコラ・デュ・シャルドネ中等神学校に入学し、校長のフレール・コロンナから神秘主義や魔術に対する好奇心を刺激され、さらにサン・シュルピス上級神学校に学び、ヘブライ語、哲学などを熱心に勉強した。ここでの読書によって、彼は聖母崇拝、女性崇拝の秘儀を学んだ。

 コンスタンは25歳で助祭に任命された。ここまでの彼の人生は順調だった。翌年、彼は司祭に任ぜられるも還俗してしまう。理由はコンスタンが公教要理を教えていたアデル・アランバックと激しい恋に落ち、彼女に肉体を帯びた聖処女を見たからである。「神は……『生への秘儀』を送ってくださり、私の真摯な情熱に報いてくださった」のである。この年、息子の還俗に悲観した母親は自殺してしまう。この頃コンスタンは労働運動と女性解放運動の先駆者でゴーギャンの母方の祖母であるフローラ・トリスタン(1803-1844)と出会う。コンスタンは彼女を通じて文学サークルに出入りするようになり、バルザックや エヴァディスムÉvadaïsmeという女性崇拝の神秘主義的宗教を主宰したマパ・ガンノー(1806-51)と出会い、さらに中等神学校時代の友人で小説『魔術師Magicien』(1838)を出版したアルフォンス・エスキュロスAlphonse Esquiros(1812-76)と再会した。

 1839年に再び信仰の道へ戻ったコンスタンはソーレムのベネディクト派修道院に入り、マリア崇拝に関する著『五月の薔薇の樹』と聖書から革命的思想を引き出した『自由の聖書』を執筆するが、後者により8か月の禁固と300フランの罰金を科せられ、サント・ペラジー監獄に収監される。ここで彼はエスキュロスと再会したり、18世紀の偉大なるオカルティストのエマヌエル・スヴェーデンボリ(1688-1772)の著述を熱心に読んだ。この頃のコンスタンの思想は女性崇拝、労働問題と自由そして神秘主義が一体となったものだった。二月革命の頃には血気盛んな共和派の論戦家としても活躍したが、徐々に政治的発言は薄らいでいく。

 革命後に出会ったのがポーランド出身の数学者で神秘主義者のエーネ=ウロンスキーJóze Maria Hoene-Wronski(1776-1853)である。彼はバルザックの小説『絶対の探究』(1834)の主人公の錬金術師バルタザール・クラエスの霊感源となった人物でもある。コンスタンは彼の影響によりカバラが親交の代数学であることを理解し、1853年に自らの名前をヘブライ語訳してエリファス・レヴィと名乗ることにした。この名前で書いたのが冒頭に記した重要な著書3冊である。

 コンスタン時代の彼は社会主義者、終末論的ユートピアについて語る文学者で、体制批判者ということもあって、反逆天使ルシフェルに対する共感を強く抱いていた。しかし『高等魔術』ではその共感は残存してはいたが、ユートピア思想は姿を消している。そして1860年の『魔術の歴史』にいたると、レヴィはルシフェルをはっきりと否定している。序文にはこう書かれている。

 「聖パウロ曰く。『悪魔は光をもたらす。しかも、しばしば悪魔は光り輝く天使を装う』。救世主曰く。『サタンが雷光のごとく天より堕つるのを見た』。預言者イザヤは叫ぶ。『なにゆえおまえは天から堕ちたのか。曙の明星よ』。かように、ルシファー(英語読み)は堕ちた天使なのである。それは、つねに燃えており、もはや照らすことをやめたとき焼き払うものとなる隕石なのである」(鈴木啓司訳)

 この偉大なるオカルティストの最晩年は世間からすっかり忘れられてしまった。真相は明らかではないが、窮乏したあげく八百屋をしていたとも伝えられている。

◇初出=『ふらんす』2016年6月号

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著者略歴

  1. 中村隆夫(なかむら・たかお)

    多摩美術大学教授。訳書カバンヌ『ピカソの世紀』『続・ピカソの世紀』

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