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中村隆夫「19世紀のオカルティストたち」

第11回 アンドロギュヌスの美学

 ペラダンが「聖堂聖杯のカトリック薔薇十団」の活動で最も重要視したのが全部で6回開催した薔薇十字展であり、その思想の根本にあったのがアンドロギュヌスである。この言葉は「両性具有」を意味するが、実際に肉体的に男女の性的特徴を持つ人を意味するのではない。おそらく一般的に連想されるのは、プラトンの『饗宴』のなかでアリストパネスが語る手足が4本あり顔と性器をふたつ持つという「男女(おめ)」であるかもしれない。蛇足だが、これはゼウスによって引き裂かれ男と女になった。あるいは、水浴びをする彼を見て妖精のサルマキスが抱きつき、もう離れないと言って男女一体となってしまったヘルマフロディトスを連想するかもしれない。ここで問題となるアンドロギュヌスはそのどちらでもない。

 旧約聖書の創世記中のアダムの創造に関する記述を見てみよう。「神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう』。神はご自分にかたどって人を創造された。男と女に創造された」(Ⅰ:26-27、新共同訳)。ところで、神の言う「我々」とは一体何を意味するのだろうか。そしてこれに続く「神は御自分にかたどって創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」とは一体どういうことなのだろうか。

 ここで神の言う「人」とはアダムのことで、そのアダムが神に似せて「男と女に創造された」のだから、神はアンドロギュヌスである。それ故に神は自分を「我々」と呼んでいるのである。このときのアダムは完璧な存在だった。しかしアダムが寝ているあいだに彼の肋骨からイヴがつくられたとき、アダムはアンドロギュヌスではなくなり、単なるひとりの男となった。神秘主義者はこのときアダムは不完全な存在となったのだと考え、「アダムの失われた言語」を思い出すこと、アンドロギュヌスだったアダムの完璧な知惠を再び獲得することが神秘主義の目的となる。

 今度は神秘主義のいうアンドロギュヌスを錬金術を例にして考えてみよう。「一者」とは「神」あるいは完璧な最高概念を示す。だから一者はそれ自体ですべてである。すなわちあらゆる対立物を内包しがらも矛盾を来さない存在である。しかし対立物が活性化すればばらばらになっていく。この過程を「流出(エマネーション)」と呼んでもさし支えないだろう。流出が進むにしたがって世界あるいは事物は完全性から遠ざかっていく。神秘主義者たちが物質を不完全なものと考え、これに精神あるいは魂を対置させる。アンドロギュヌスとしてのアダムからイヴがつくられたとき、流出が一段階進み、アダムは不完全な存在となった。彼が持っていた完璧な知識もそれを語る言語も失われたというのは、こうした事情によるのである。

 錬金術師たちは地上の物質をつぶさに観察することから始める。次に彼らは実験をする。実験をしない者は錬金術師ではない。では彼らは何を得ようとするのだろうか。それは「黄金」「賢者の石」「哲学の石」と呼ばれる何かである。これらは象徴的な呼称であって、実際に黄金であったり石であるとはかぎらない。実験に使われるフラスコは「哲学の卵」と呼ばれる。これらを手に入れるとどうなるのか。流出という下降現象に対して、神秘の次元へと上昇し、一者と交わるあるいは完璧な知惠を獲得することができるようになる。錬金術や神秘主義の究極の目的は、黄金を手に入れるという金の亡者になることでもなく、魔法を使って世の中を支配することでもない。それは神のような存在、永遠不変の知識を獲得するということなのである。それを一歩間違えれば悪魔主義者となり、白魔術ではなく黒魔術を使用する者となるのである。

 さて、理性の時代の趨勢として一般には神秘は疑わしいものと見なされるようになった。そこでこの神秘の次元は怪しいものとして切り離され、その結果生じたのが近代科学あるいは近代化学である。また神秘主義者たちは天体の運行と人間や世界の運命が繫がっていると考え、パラケルススは天体と精神と肉体の呼応関係に着目し病の治療を行った。これをヘルメス医学という。ちなみに若い頃のゲーテの不治の病の治療にあたったのは薔薇十字系の医師だったといわれている。天体の運行と世界や人間の呼応関係を基盤とする代表的なものは占星術である。これから神秘の次元を取りのぞいたものが近代天文学として成立したことは、改めて言うまでもないだろう。

 神秘主義ではあらゆる対立物を「男性的原理」「女性的原理」という言葉で象徴的に表す。「男性的原理」は太陽、「女性的原理」は月で表される。そうするとあらゆる対立物を含みながら矛盾を来さない「一者」は、「男性的原理」と「女性的原理」を同時に併せ持つものであり、両者の結婚という概念が生まれる。錬金術が「化学の結婚」と呼ばれるのはそのためである。そして私たちは、一者はこの意味でアンドロギュヌスであり、天地創造の神もアンドロギュヌスであるという概念に合点がいくことになるだろう。

 最後にペラダンに話を戻そう。魔術の達人であるといわれる彼が、なによりもアンドロギュヌスという概念を尊重し、その美学に基づく美術の展覧会を開いた理由もこれで理解できる。彼は『アンドロギュヌス』という本を上梓し、またアンドロギュヌスを「至高の性」と讃えていることことも理解できる。ペラダンが最も尊重した画家はレオナルド・ダ・ヴィンチであり、同時代の画家ではギュスターヴ・モローだった。モローの文章に「物質に対する精神の闘い」という言葉が頻繁に使用されることは特筆に値するであろう。

◇初出=『ふらんす』2017年2月号

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著者略歴

  1. 中村隆夫(なかむら・たかお)

    多摩美術大学教授。訳書カバンヌ『ピカソの世紀』『続・ピカソの世紀』

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