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「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」辻野裕紀

第11回 〈n挿入〉の発生論と機能論

Q:なぜ일본 요리《日本料理》は[일보뇨리]ではなく、[일본뇨리]と発音するのでしょうか。

A:いわゆる〈n挿入〉と呼ばれる現象のことですね。現代韓国語では、先行要素が子音で終わり、後行要素が[j]ないし[i]で始まるとき、後行要素の第1音節の初声に[n]が挿入されることがあります。これを〈n挿入〉、〈ニウン挿入〉、〈n添加(注1)〉、〈ニウン添加〉、〈リエゾン(注2)〉、〈ㄴ덧나기〉などと称するわけですが、たしかになぜこうした限定的な環境でのみ、[n]が挿入されるのか不思議ですよね。通時論的な視角から考えてみましょう。

 まず、現代語には[nj]や[ni]で始まる単語は、外来語やオノマトペを除き、基本的に存在しません。しかし、中世語にはありました。녀름《夏》、니《歯、虱》、닢《葉》などのような単語です。ところが、18世紀後半ぐらいになると、語頭の[nj], [ni]の[n]が斉一的に脱落します。したがって、녀름は여름、니は이、닢は잎へと変わりますが、合成語の後行要素の語頭では[n]が保存されます(注3)。なぜならば、[n]が脱落したのはあくまでも「語頭」という環境に限られていたからです。つまり、例えば、닢は잎に変化した一方、꽃잎《花びら》など、合成語に含まれる잎は[닙]と発音され続けました。この段階における[입]~[닙]という交替は、まだ[n]の「挿入」ではなく、「脱落」でした。
 その後、「類推」(analogy)によって、合成語や句の内部という環境で、元来[n]を有していなかった単語にまで[n]が「挿入」されるようになります。例えば、여섯《6つ》や일《こと、仕事》は中世語ではそれぞれ여슷、일であり、語頭に[n]は持っていませんでしたが、仮令、서른 여섯《36》、집안일《家事》は[서른녀섣]、[지반닐]の如く、[n]が挿入されます。かくして、〈n挿入〉という音韻規則が誕生します(注4)

 ここまでが〈n挿入〉が起きるようになった歴史言語学的な観点、すなわち〈n挿入〉の発生論(契機論)ですが、それでは、〈n挿入〉の共時的機能は奈辺に存するのでしょうか。
 そのために、〈n挿入〉を〈終声の初声化〉と対峙させて考えてみたいと思います。[n]が「挿入される場合」と「挿入されない場合」とを比べたときに立ち現れる違いこそが〈n挿入〉の本質的な機能だと言えるからです。
 周知の通り、一般に、現代韓国語において、閉音節に母音(半母音を含む)で始まる音節が続くとき、当該の終声は後続する音節の初声として実現します。言い換えると、(C)VC+V(C)という音節連続が生じると、休止を入れない限り、(C)VC$V(C) と発音されることはなく、必ず(C)V$CV(C)と発音されるということです(=終声の初声化)(注5)。この終声の初声化は、音節構造論ないし音節接合論とでも呼ぶべき視座から見据えると、音節構造の変容を引き起こすところにその本質があると言ってよいでしょう。すなわち、終声の初声化は、先行要素の(C)VCという音節構造を破壊して(C)Vにし、音節境界と形態素境界の不一致を齎す現象です。そして、音節境界が形態素境界と一致しなくなると、聞き手は、聴覚的に形態素境界を認識しにくくなります。つまり、どこからどこまでが1つの形態素なのか、その切れ目が判然としなくなるのです。韓国語は学習者にとって聴き取りが難しい言語ですが、その原因のひとつは、終声の初声化にあると私は愚考します。
 そして、休止を入れない限りほぼ不可避的に起きる終声の初声化は、唯一〈n挿入〉が起きる場合にのみ阻止されます。[n]が挿入されると、(C)VC+V(C)は、(C)VC+nV(C)という構造となり、終声の初声化を免れます。例えば、밤이슬《夜露》は、終声の初声化が起きると[바미슬]となり、形態素境界が分かりにくくなりますが、[n]が挿入されて[밤니슬]となると、形態素境界が明晰判明に分かります。つまり、[n]が挿入されることによって、形態素の認識、すなわち、意味の把握が容易になるわけです。しかも、前述のように、現代語に[nj]や[ni]で始まる単語はほとんど存在しないために、他の語との意味的な衝突も生じ得ません。こうした、音節構造の変容を防遏(ぼうあつ)し、形態素境界を明瞭にする働き、これが〈n挿入〉の機能です。要するに、挿入子音[n]は、共時的には「境界表示マーカー」だと結することができるでしょう。
 もちろん、〈n挿入〉は、[j]と[i]の直前でのみ生じる現象であり、「なぜ後行要素の頭音が[j]と[i]のときにだけ形態素境界を示す必要があるのか」という疑問を持つ方もおられると思います。例えば、なぜ일본 요리では形態素境界を示す必要があり、なぜ일본 음식では形態素境界を示す必要がないのかという問題です。
 しかし、既に見たように、[n]は元々、境界表示マーカーとしての機能を持っていたわけではありません。本来は、それ自体には何の積極的意味もない、分離不可能なものが、音韻変化によって、結果的に境界表示マーカーとしての機能を獲得するに至ったのでした。すなわち、[n]が境界表示マーカーとなったのは、限られた環境の中で起こった、ある意味では偶発的な、歴史的変遷の結果物であって、境界を表示する必要性のために[n]が挿入されるようになったというわけでは決してありません。換言するならば、〈n挿入〉は、現代韓国語にとって絶対的に必要なものではないのです。もし[n]によって境界を表示することが不可欠であるならば、さらに類推作用によって、[j]や[i]以外の母音の前でも〈n挿入〉が起きるようになり、より広範に適用される音韻規則になっていったことでしょう。しかし、言語事実はむしろそれと正反対です。〈n挿入〉は現在、変化の只中にあって、世代が下るにしたがって、漸次起きにくくなっています。そして、そこには〈n挿入〉の機能的な剰余性(redundancy)が関与しているものと考えられます。
 例えば、밭이랑は、意味を考慮しなければ、[반니랑]、[바디랑]、[바치랑]という3通りの発音があり得ます。このうち、《畑と》という意味ならば[바치랑](終声の初声化①(注6))となり、《畑の畝》という意味ならば[반니랑](n挿入)ないし[바디랑](終声の初声化②)という発音になります。辞書に記載されている規範的な発音では[반니랑]ですが、実際には[바디랑]と発音する話者もかなり多くいます。では、[반니랑]と[바디랑]の違いは一体何でしょうか。
 既述の通り、〈n挿入〉の機能は形態素境界の表示にあります。一方で、[바디랑]という、先行要素の末音がそのまま生かされるタイプの終声の初声化(終声の初声化②)にも同様に形態素境界を表示する機能があります。それは例えば、옷안[오단]《服の裏地》を、옷에[오세]《服に》との関係の中で見れば分明であり、꽃잎[꼰닙]《花びら》と꽃이[꼬치]《花が》との関係と平行的です。
 詮ずるに、〈n挿入〉も〈終声の初声化②〉も共に境界を表示するところにその職能があり、こうした機能的な観点から眺めれば、〈n挿入〉か終声の初声化②のどちらか一方は、「余分」であるということになります。では、どちらを「余分」だと考えればよいでしょうか。
 まず、終声の初声化②は、後行要素の頭音の母音の種類を全く問いません。その反面、〈n挿入〉は後行要素の頭音が[j]と[i]の場合に限定されます。つまり、〈n挿入〉よりも終声の初声化②のほうが適用される範囲がはるかに広いと言えます。こうして見ると、剰余的なのは、終声の初声化②ではなく、〈n挿入〉のほうだと見るのが妥当です。だからこそ、〈n挿入〉が次第に衰微しつつあるのだと推測されます。
 しかし、ここで看過してはならないのは、2種類の終声の初声化が存在し〈n挿入〉が機能的に剰余的になるのは、先行要素の末音の基底音素(形態音素)が激音や{ㅅ}, {ㅈ}など一部のものに限定されるという点です。先行要素の末音の基底音素が{ㅂ, ㄱ, ㅁ, ㄴ, ㄹ}のような場合には、〈n挿入〉は剰余的ではありません。例えば、솔잎《松の葉》という語において、솔《松》と잎《葉》の形態素境界を示す音的なデバイスは、休止を除けば〈n挿入〉しかありません。若年層の発音においても、〈n挿入〉が消失せず、現代語でもある程度保たれているのは、かかる事情が影響しているのでしょう。

 〈n挿入〉には、上述の通り、世代差があり、また方言差や個人差もかなりあります。例えば、慶尚道方言では、금요일《金曜日》を[금뇨일]、만약《万一》を[만냑]と発音するなど、ソウル方言では〈n挿入〉が生じないケースでも頻繁に生じ、一方で、共和国(北朝鮮)では、볼일《用事》を[보릴]と発音するなど、逆に〈n挿入〉が生じにくいようです。辞書に記載された規範的発音と言語事実が乖離している場合もしばしばあります。
 このように、〈n挿入〉は、音韻規則の中では一見周辺的なもののように見えますが、実は興味の尽きない、かなり奥深い現象です。

 

(注1)なお、「添加」という言い方は、[n]がどこに出現するかがはっきりせず、名が体を的確に言い表していないため、あまり好ましくありません。prothesisもepithesisもparagogeもすべて「添加」です。
(注2)ちなみに、「終声の初声化」(連音化)を「リエゾン」と呼ぶ教材がしばしば見られますが、言語学的に誤謬です。リエゾンは本来フランス語学の術語ですが、もし終声の初声化をフランス語学の術語で表現するのであれば、「アンシェヌマン」と呼ぶべきです。
(注3)「合成語に古形が残る」ということについては、言語化石を扱った本連載「第5回」でも触れました。
(注4)こうした〈n挿入〉の発生の態様は、英語のthe idea is[ajdiəriz], drawing[drɔ:riŋ]などに見られる「侵入のr (intrusive r)」のそれと似ています。
(注5)Cは母音、Vは母音、$は音節境界です。
(注6)終声の初声化の実現の仕方には2種類あります。1つは「終声の初声化①:初声字母の位置に移した終声字母の音素が初声の音声として実現するタイプ=音節構造の変容後の音が実現するタイプ(e.g. 옷이[oɕi]《服が》)」、もう1つは「終声の初声化②:単独形における終声字母が表す音素が初声の音声として実現するタイプ=音節構造の変容前の音を維持し実現するタイプ(e.g. 옷안[odan]《服の裏地》)」です。一般に前者のほうが形態素境界が弱く、後者のほうが強いとされます。

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著者略歴

  1. 辻野裕紀(つじの・ゆうき)

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府言語・メディア・コミュニケーションコース准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京外国語大学外国語学部フランス語専攻卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国ソウル)専任講師を経て、現職。専門は言語学、韓国語学、音韻論、言語思想論。文学関連の仕事も。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』(九州大学出版会、2021年)など。
    (写真:©松本慎一)

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