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「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」辻野裕紀

第6回 言語化石(2)

Q:《大晦日》を섣달 그믐날と言いますが、그믐というのは一体何でしょうか。

A:前回「言語化石」というテーマを扱いましたが、この論件も言語化石という観点から釈解が可能です。그믐は、그믈-《月が完全に暮れる》という古語の動詞の名詞形であり、この動詞は現代語では死語となっています。しかし、《晦日》を意味する그믐という名詞にその姿態を留めているわけです(注1)。설거지《食事の後片付け》も元々설엊-(<설겆-)《食事の後片付けをする》という死語化した動詞の名詞形です。このように、死語からの派生語が語彙化して化石的に残っているというケースもあります。
 死語ではなくとも、活用形の中に、古形が残留していることもあります。例えば、푸다《掬う》の第Ⅲ語基(語幹に-아/어が付いた形=連用形)はなぜか퍼-です(注2)。두다《置く》や주다《与える》などとパラレルに考えると、풔-になりそうですよね。これは、両唇音の直後の/ɨ/の円唇化と関わりがあります。中世語においては、母音/ɨ/の直前にも両唇音が接合し得ました。例えば、《火》は블、《草、糊》は플、《水》は믈であり、믈は《群れ》を意味する물(現代語の무리)と母音の差異のみで対立していました(声調も共に去声)。しかし、17世紀末葉までには、両唇音後の/ɨ/が遍く円唇化し、브と부、프と푸、므と무の音韻論的対立は事実上滅しました。その結果、現代語では、예쁘-《かわいい》のようにㅡと表記されても、実際には[u]と発音されるのが普通で、両唇音の直後において[ɨ]と[u]の違いが弁別的に機能することはありません。そして、푸다は中世語では프다でしたが、上述の円唇化によって프->푸-と変化した一方、活用のパラダイムの中には「으語幹用言」だった頃の語形퍼-が現在も宿存しているのです(注3)
 さらに、単語そのものは健在でも、「意味の縮小」(注4)によって意味の一部が「死んで」しまい、その死んだ意味が合成語の中で「生き続ける」こともあります。典型的なのは、더운물《湯》です。現代語で덥-は《暑い》という意味であって、《熱い》、《温かい》の意味ではほとんど用いられません。したがって、더운물という表現は不自然なはずなのですが、《湯》の意味でよく使われます。これは中世語の덥-に《暑い》と《温かい》の双方の意味があったからです。時代が下るにつれて、《温かい》を表す形容詞は따뜻하다に取って変わられ、それによって덥-の意味は縮小しますが、더운물という語がかつて덥-に《熱い》、《温かい》の意味があった事実を暗示的に見せてくれています。

 감싸-《くるむ》、돌보-《世話をする》、여닫-《開け閉めする》、검붉-《赤黒い》などのように、語幹同士が結合した用言も言語化石の一種として定位し得ます。何となれば、現代語では、用言語幹が各々結合して生産的に複合語を形成することはできないからです。現代語の複合動詞は、뛰어다니-《飛び回る》、살아남-《生き残る》などのように、一般に先行要素が第Ⅲ語基で現れます。しかしながら、中世語においては、tɨtpo-《見聞きする》、pirmek-《乞食をする》、tjokhuc-《よしあしである》などのように、用言の語幹同士が比較的自由にそのまま接続可能であり、감싸-の如き複合語はその残照だと判ぜられます(注5)。これらは、前回触れた「音韻規則の言語化石」に対して、「形態規則の言語化石」と称してよいでしょう。単純語だと認識されている、現代語の거닐-《ぶらつく、散歩する》や다니-《通う》も、実はそれぞれket-《歩く》+ni-《行く》、tʌt-《走る》(注6)+ni-《行く》という非統辞的複合語に来由します。

 

(注1)なお、《大晦日》を表す語としては、幼児語ですが、까치설ということばもあります。また、섣달は《陰暦の12月》のことで、語源は설《元日》+ㅅ《の》+달《月》です(설は살《~歳》と同根と考えられ、中世語で살は설でした)。섣달と同じような構造の合成語には他に、반짇고리《針箱》、사흗날《三日》、숟가락《匙》(中世語で《匙》は술)、이튿날《二日》、푿소《夏に草ばかり食べて育った牛》などがあります。ちなみに、《陰暦の11月》は동짓달と謂います。
(注2)文法書や辞書などでは「우変則用言」と呼ばれるものですが、우変則用言は푸다1語しかありません。
(注3)活用のパラダイムの中に古形が残っている例としては、他にも、바꾸다《変える》の第Ⅲ語基が話しことばでしばしば바꽈-となることなどが挙げられるでしょう。中世語で바꾸다は밧고다でした。
(注4)外延(指示対象の範囲)が狭まることを「意味の縮小」と呼びます。例えば、韓国語の사랑하다は現代語では《愛する》という意味ですが、昔は《愛する》だけなく、《思う》という意味も併せ持っていました。しかし、現代語では指示範囲が狭隘化し、意味が《愛する》に局限されるようになりました。日本語の「虫」の意味変化(昔は蛇や蛙なども「虫」の一種でした)や、「つま」の意味変化(古くは《結婚相手》の意で、《夫》という意味でも用いられていました)、英語のgirlの意味変化(girlに対応する中期英語のgurlは性別を問わず《若者》という意味でした)、meatの意味変化(meatは《食肉》のみならず《食物一般》を指すmeteという古語に遡及します)なども意味の縮小としてよく例示されます。
(注5)こうしたタイプの複合語を「非統辞的複合語」と謂います。
(注6)現代語で《走る》は달리다が一般的ですが、도움닫기《助走》、치닫다《駆け上がる》などには中世語のtʌt-に由来する닫-が含まれています。

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著者略歴

  1. 辻野裕紀(つじの・ゆうき)

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府言語・メディア・コミュニケーションコース准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京外国語大学外国語学部フランス語専攻卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国ソウル)専任講師を経て、現職。専門は言語学、韓国語学、音韻論、言語思想論。文学関連の仕事も。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』(九州大学出版会、2021年)など。
    (写真:©松本慎一)

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