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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第52回 2月5日の観察

 オハナはいま、週1、2回のペースで通院している。先日、頭部のレントゲン写真を撮った結果、左耳を洗浄してみることになった。看護師さんがハナを保定し、獣医さんが耳に洗浄液を入れる。耳の付け根をもみほぐしてから綿を巻いた器具で拭いていくと、大きな黒い塊が奥のほうから何個か出てきた。外から見た限りでは綺麗な耳なのに、こんなに汚れていたんだ、と驚く。聴こえてなかったかもしれませんね、と獣医さん。その日はステロイドの注射を打ち、炎症を抑える錠剤も貰った。

 注射のおかげか、耳を洗ったからか、その日の午後は見違えるほど元気になった。首の傾きもだいぶ改善され、頭と尻尾が上がり、目が合うようになった。どこにもぶつからずに歩ける。これなら治りそう!と喜び合ったのも束の間、薬の服用を1日おきにしたら、投薬しない日は元に戻ってしまった。傾いた頭に引っ張られて旋回し、まっすぐ歩けてもあちこちにぶつかる。横になっていればいいのに歩き回る。危ないのでケージに入れると、そのなかでぐるぐる回ってしまう。獣医さんが言っていた「前庭障害」でYouTubeやWebサイトを検索したら、案外多くの犬がこの症状で苦しんでいた。あまりに動くので抱き上げると、オハナが腕のなかで大きなため息をついた。脇腹が大きく動き、呼吸が荒いのがわかる。そんなに頑張らなくていいんだよ、と頭を撫で、うまく飲めない水でびしょびしょに濡れた顎の下をタオルで拭いてやる。

 こんな時でも原稿の締め切りがあるし、確定申告の期限も迫っている。眠い目を擦ってダイニングテーブルでパソコンに向かっていると、にゃあ、と足元で呼ぶ声がする。声に振り返ると、こちゅみがまんまるい目でわたしを見上げている。君もこのところさぞストレスが多かろう、と抱きしめたくなるが、こっちゃんはわたしに抱っこされるのが好きではない(夜は腕枕を強要するのに)。なあに、と返事をすると、例の「ついてこいや!」の空気を醸し出された。仕方なく立ち上がり、尻尾をピンと立てた優雅なお尻についていくと、冷蔵庫ではなく居間の絨毯へと引率された。なるほど、遊んで欲しいのか、と思いきや、絨毯を素通りしてエアコンの風が当たるあたりのフローリングに座って毛繕いを始める。途中、四足歩行に切り替えていたわたしの目の前に、Rに頭を支えられて水を飲むオハナがいる。こっちゃん、ママをオハナのところに連れてきてくれたの、とRが声をかけても知らん顔をしている。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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