第44回 10月3日の観察
最近、こちゅみに会いたいとうちに来てくれる人が増えたので、少し涼しくなったし、あまりにも散らかった作業場を片付けている。息子の部屋とトイレ以外に扉がなく、お客さんの席から作業場が丸見えなのだ。先週末、昔の仕事で作ったポスターが奥のほうからいろいろ出てきて、そのなかに「愛しい誰かに送る手紙」という、20年近く前に雑誌の企画で作ったシールポスターを見つけた。かなり強く巻きぐせがついたそれをなんとかこじ開けると、そこにはパンクちゃんの写真3枚と彼女に宛てた手書きのメッセージが印刷されていた。
Rの赤い、足で漕ぐタイプのスポーツカーと、その脇でカーテンに隠れたけれど足だけ見えているパンク、Rのズボンを噛んで引きずり下ろそうとしているパンクと前髪ぱっつんのRの額、犬のぬいぐるみの乗ったテーブルの下を高速で移動しているらしきパンクの残像。写真にはそれぞれ、そんなものが写っていた。Rもパンクもまだ赤ちゃんで、どちらも小さいうえパンクの背中にはウリ坊みたいな黒い線(成犬になったら消えた)まで入っている。うちに来たのは月齢2ヶ月半、小太朗と同じぐらいだ。
離婚したてで、ワンオペ育児だけでも忙しいのに、子犬まで迎え入れるとは! 無知ってすごい。でもきっと、切実な選択だったんだろうなと、手紙の行間から漏れている不安とから元気さを読んで思った。子も犬も手がかかったけれど、余計なことを考えずにただ日々を生きるのは面白かったし、おかげで強くなった。
最近、「ハナちゃん」を「パンちゃん」と呼んでしまうことが本当に多い。オハナと比べて、パンちゃんはああだった、こうだった、とRはよく言うけれど、わたしはそうだっけ、、、と、もう記憶がかなり曖昧。同じチワワのオハナとの時間が、パンちゃんの記憶をどんどん上書きしてしまっているなと感じる。それだけじゃない、初めて一緒に暮らす猫のインパクトが強すぎて、ますますパンちゃんの記憶がぼんやりしてしまう。そんな話をすると、しょうがないよ、俺のiPhoneだってハナとパンクを同じ犬だと思って、ハナの写真をパンクのフォルダーにどんどん振り分けてくるんだから、とR。確かに。AIにも識別不可能なら仕方がないかも。