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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第29回 2月23日の観察

 その晩も、灰色猫の声は聞こえてきた。台所の明かりが点いたり、風呂場の窓が開いたりするのに反応して、鳴く。ベッドに入ってからも、方向はわからないが敷地内にいそうなヴォリュームで鳴いている。わたしにはそれが「寒いよー」、「さみしいよー」に聞こえてしまう。翌朝、猫道の先輩である友人のMちゃん、編集者のHさんに意見を聞くしかないと思い立ってメッセージを送った。すぐにどちらからも連絡があり、Mちゃんからは敷地内に置いておくことで命に関わる寒さをしのげる野良猫用ハウスの作り方が、Hさんからは、電話で話せるかという打診の返事がそれぞれ送られてきた。は、速い!

 すぐにでも野良猫ハウスを作りたかったが、忙しくて手が回らない。ただ、Hさんと電話で話すことができたので、地元の保護団体を探すべきか相談した。いろいろ話した結果、まずは隣人のQさんに相談してみたらどうか、とアドバイスをもらった。うちの裏に住むQさんは、ずっとずっと猫を飼っている。パンデミックでお互い家にいたとき、彼女がときどき飼っている黒猫を、長めのリードに繋いで庭に出していることに気づいた。去年、回覧板を持って行ったとき、「うちにも猫が来たんです!」と報告する機会があった。その際、Qさんの家にはいま、猫が三匹いると判明した。

 案の定、Qさんも灰色猫の存在に気づいていた。Qさんのお庭にも出没していたそうで、かなり近くで観察するチャンスがあったという。彼女曰く、灰色猫は太っていて毛艶も良く、到底野良には思えないとのこと。確かに目に傷はあったが、古いものに見えたそうだ。顔つきや体のサイズからオスなんじゃないか、だとするとかなり遠くから旅をしてきた可能性もあるし、少し様子を見てみましょうと彼女に言われ、それもそうだなと思う。確かにあの鳴き方は発情期のものっぽく、メスを探して遠出をしたという説にも合点がいく。

 その夜はまだ灰色猫らしき猫が鳴く声がしたが、翌日から声はぱたりと聞こえなくなった。猫は人間の言葉を理解しているとわたしは信じていて、もしQさんとの会話を彼が聞いていたのだとすれば飼い主の元に帰ったか、あるいはこの界隈をあきらめ、別のエリアで目的を果たそうと思ったのかもしれない。なんとなく拍子抜けしたが、ホッとする気持ちもあった。こういうときどうしたらいい、という正解はないのだろう。

 iPhoneで調べたら、自分の住む街にも保護団体はあった。少しブログを読んだが、彼女たちは団体の用意したフードに撒かれた殺鼠剤や、ものすごい交通量の道路によって命を落とす猫たちを救うべく人間社会と格闘していた。それを読み、あまりのことに泣いた。邪魔だから、排泄するから、騒ぐから、のような、自分だって日々誰かにそう思われているだろう理由で命が奪われていることに、強い拒否反応を起こしてしまう。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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