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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第12回

6月6日の観察

 例年、我が家は梅雨明けまで冬用の羽毛布団をしまわない。壁にも屋根にも断熱材の入っていない昭和の中古物件はこの時期、温度管理が難しい。雨の日だと一階はまだ寒いぐらいなのに、晴天の日は陽射しの熱をすべて吸収した二階がそこそこ暑くなる。こにゅみのホームである主寝室が暑くなりすぎないよう、エアコンを使い始めるのもいま時分だ。わたしとしては、靴下を履かずに一階をうろつける=いい季節なんだけど、それはもうちょっと先かも。

 去年まで家のなかで季節の移り変わりを感じていたのに、オハナが来て、散歩でそれを感じるようになった。まずはダウンジャケットがフリースのジップアップに変わり、セーターのまま近所を一周できるようになると、長袖のTシャツで十分だなぁと思うまではすぐだった。そしていま、半袖のTシャツ一枚で夕方の散歩に出かけても、軽く汗ばむことがある。できる限り服を着たくないわたしに優しい季節の到来で、足取りも自然と軽くなる。近所を縄張りとするブチ猫さんにも、冬場より頻繁に遭遇できるようになった気がする。

 散歩がこんなに素敵だなんて、オハナが来てくれなかったらきっと一生知らなかった。歩くことや走ることは、わたしにとって移動の手段でしかなかったからだ。車の免許を取ったあとそれはますます、可能な限り省くべきムダのように思えた。もちろん、いまも忙しい日や、雨で地面が濡れた日なんかは「面倒臭いなぁ」と思う。でも、いったん、えいっ!と外に出てしまえば、肌に触れる風は新鮮だし、オハナを歩かせる以外に目的のない15~30分が心地よい。きれいな樹木や夕日を眺めながら、なにを考えるでもなくただ世界にいるだけの自分っていう感覚、いつ振りだろう。

 散歩の素晴らしさを実感するたび考えるのは小太朗のことだ。こんなに気持ちがいいお散歩というものに、こっちゃんも連れていけたらいいのに。有事に備え、すでにハーネスとリードは準備してあり、家の中で装着したまま過ごす練習も済んでいる。ただ、外に出して何事もなく済む気がまったくしない。とりあえず、リュック型のキャリーを新調してみた。内側に、リードをくくりつける部品がついているやつ。網戸越しじゃなく、かつ安全に、小太朗に外を体験させてあげられる日は、いつかくるんだろうか。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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