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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第19回

9月21日の観察

 このところ、小太朗が朝ご飯を食べない。先週からGが留守だからか、単に夏バテか、あるいはどこか具合が悪いのか。一緒に暮らしていたチワワのパンちゃんは、ある日突然ご飯を食べなくなり、そこから一週間ちょっとで亡くなってしまった。あのときの後悔や悲しみが、いまも思考をネガティブに支配する。パンちゃんは15歳でこっちゃんは2歳、状況が違うよと自分に言い聞かせても落ち着かない。

 しかもさ、なんかすごい甘えてくるんだよ。Rにそう話すと、それはGさんがいないからじゃない?と返された。愛の矛先が減ったぶん、わたしの分け前が大盛り。それもどうかと思うが、しんどくて甘えてるわけじゃないならママはなんだって受け入れちゃう。

 なんとか食べてもらえるよう、Rと地道な研究を重ねる。ふりかけ作戦はベーシックな戦略だが、最初はそれなりの効き目をみせた。しかしすぐ鰹節に飽き、粉ミルクも効力を失ったので、一か八かスプーンで掬って口元まで持っていくと、それは食べてくれる。うーん、一部始終を見守ってて欲しいのかも、とR。いつも使っているお皿が嫌とか、それかあれだ、前みたいにこのフードに飽きてるとか、とわたし。確かに、お昼のウェットなら食べるしね……。そう話した矢先にウエットの食いつきも悪くなり、いよいよ病気かと人がオロオロする傍らで本人は機嫌も良く、遊びもねだる。

 自分たちの中でもなにかが麻痺してきた。朝は「めしーめしー(にゃーにゃー)」と鳴いて人を叩き起こす子だったのに!と思うと、食べるなら美味しいお肉を茹でたり、ご飯は毎食スプーンに乗せ、粉ミルクもふりかけて口に運んだり、仕事そっちのけで遊んであげたりと甘やかしてしまう。YouTubeで自らを「下僕」と呼ぶ猫飼い人たちの気持ちがよくわかる。

 今朝、ハナちゃんのシャンプーから帰宅すると、こにゅみが玄関に行儀よく座って待っていた。久しぶりに独りで寂しかったかなと思いつつ、誘われるがまま2階に上がる。ソファの前あたりで、たたたっ!と狭いところを走り抜けるこにゅみを追う足裏に、湿るような感触があった。かがみ込んで床を眺めると、濡れそぼった毛のかたまりのまわりに液体がてんてんと落ちている。どうやら液体を踏んづけたらしい。

 なるほど、食欲不振の原因は毛玉だったのか!

 換毛期に入ったとは思っていたが、消化器官に毛がつかえて食欲が落ちることまで気が回らなかった。まだまだ猫飼い初心者だなぁと、床に雑巾をかけながらほっと胸を撫で下ろす。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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