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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第28回 2月7日の観察

 本日の路上は可愛いいきもので溢れていた。見えない敵から身を隠しながら数メートルずつ進んで帰路につく小学生2人組。オレンジ味を帯びた逆光にクリーム色の毛皮を輝かせつつ、裕福そうなご婦人の横を闊歩するダックスフント。お母さんとお揃いの黒いダウンジャケットを着たマルチーズのおばあちゃん。自宅から一番近いデパートのある街でそんな光景に出会うと、穏やかな日々を送る彼らが無性に羨ましくなる。なんだか自分だけ、昨日と同じ今日を淡々と暮らしたいという本来の願いを叶えられていないようで寂しい。

 1月の終わり、出張中のわたしにGから届いたのは、冬枯れした我が家の庭に見慣れない灰色の猫がうずくまっている写真だった。翌日、京都から戻って話を聞くと、その子は野良猫らしく、まだ近所にいるだろうとのこと。姿は見えないが、ときどき家の裏や表の通りから大きな鳴き声が聞こえる。きっと発情期じゃないかとGはいう。携帯の写真を指で大きくして観察すると、丸々とした体はグレーだけれど、眉間のところにトラ柄が入っている。左目はいつか怪我をしたのかちょっと変な感じ、ケンカを重ねてきたようで耳のふちもギザギザだ。男の子かなぁ。いや、男の子があんなふうに鳴くだろうか。一家総出でiPhoneを手に取り、野良猫 怪我 発情期 鳴き声 などの検索ワードでググる。こんなに寒くて大丈夫かと心配なわたしは、野良猫 防寒対策 などの単語を検索エンジンのトップ画面に打ち込む。

 翌日、車で帰宅したわたしは、うちの駐車スペースから飛び出してきたその子と出食わした。昨夜はガレージの屋根がある部分に置いてある夏用タイヤの脇かなにかで過ごしたに違いない。急いで車を停めて降り、車通りのない家の前の私道で丸くなっているその子に近づく。やっぱりすごく可愛い。でもまだ遠くて性別もケガの様子もわからないので、もっと近づこうとしたら逃げた。この寒いのにどこいくの? なんとかしてあげられたらいいのに。この「なんとか」には当然、うちに迎えるという選択肢が入っているが、すでにこちゅみとオハナがいて無理なのはわかっている。誰かの命がかかっているのに、なにもできない自分は本当に不甲斐ない。

 いっぽうで、小太朗のことも気にかかっていた。個体によっても違うらしいが、猫は縄張り意識が強く、閉め切った窓の外に別の個体を発見しただけでも、ストレスになって体調を崩したりマーキングを始めたりしちゃうぐらい繊細な動物だと本で読んだからだ。どんな感じかなぁと、家の中のこちゅみの様子もじっくりと観察していたが、野良の経験がほとんどなく、去勢の手術も終わっているからか特にダメージを受けている様子もない。灰色猫が庭に来たときも、Gによればどちらかといえば興味津々だったらしい。(つづく)

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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