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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第3回

11月14日の観察

 放置していた家族との揉めごとにとうとう向き合わなければならなくなって、昨日はほとんどなにもできなかった。気持ちの切り替えが下手すぎて、アイロンをかけながらTverでバラエティ番組を漫然と鑑賞しているうち、また深夜になってしまう。申し訳ない気持ちでゴミ出し、朝の散歩、こたハナの食事の支度をRにお願いした。人間と暮らすのは面倒臭いが、助かることもある。

 今日はGの誕生日。好きに過ごしていいよと言ったら、スタジオに泊まることを選びやがった。相変わらずブレない、最高だな。気を遣う相手もいないので、朝はゆっくり寝た。最近は朝晩、冬の裾野はいまココ↓と思うぐらい寒くなってきた。尋常じゃなく暑かった夏も、こうしてちゃんと終わるのだなと、妙に感動する。ここ数日、明け方になるとこちゅみが布団に潜り込んでくる。にゃあ、と鳴く声に起こされて、寝ぼけたまま布団を持ち上げ迎え入れる日もあれば、いつのまにか胴体のカーブにぴったりと添って、胸元で寝息を立てている彼を発見することもある。いずれにしてもオキシトシン大量分泌案件であり、更年期の不定愁訴に効果絶大とみた。

 こたちゅみと暮らして初めて知ったのだが、抱っこが苦手な猫って多いらしい。可愛く鳴いたりふくらはぎに顔をこすりつけたり、あざとく甘えてきたりするわりには、わしゃわしゃ撫で続けると瞳孔がバッキバキに開ききった状態でマジ噛みしてきて驚く(っていうか呆れる)。彼は抱っこも好きじゃない。一瞬抱かれても、すぐに身体をひるがえしてすとん、と床に逃げる。赤ちゃんのときは、もうちょっと抱っこさせてくれた気がしたんだけど。

 寝ているときだけは、ずっと触れあっていてもおとなしくしている。触っていいときとダメなときの塩梅が、わたしにはまったくわからない。腕枕で眠るこっちゃんを眺めていると、出産直後のRを思い出す。助産院の布団のなか、わたしの顔の真横で寝息を立てる赤ちゃんの顔は、自分の握り拳とそっくり同じ大きさだった。ぽかん、と小さく開いた口に鼻を近づけると、おっぱいしか飲んでいない生きものの、新品の内臓の匂いみたいなのがした。こっちゃんの口はいつもちょっぴり魚臭いが、顔の小ささは新生児といい勝負だ。

 この一年で、こちゅみとの時間や関係性が、自分と世界との距離感を測るもの差しになった。「愛おしい!」という気持ちの頂上に立つと、無理やら、嘘やら、捻じ曲がった自負やら、愛に似せた執着が世界のあちこちに転がるのが見える。若い頃は抱え込めたが、今はもうそんな体力が残ってない。ベッドで猫と添い寝しながら、愛ってなんなのかなーとか考える。不穏なヒトの想念を感じたのであろうこちゅみ氏は、そそくさと手先を毛繕いし始める。そしてまだ惰眠を貪りたいわたしを置いて、さっさと窓辺に行ってしまう。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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