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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第39回 7月21日の観察

 先週、ひさしぶりに体調を崩した。その朝、起きたら声がしゃがれていて喉も少し痛かったが、大したことはなさそうだったので一日仕事をした。夜、帰宅して落ち着くとなんだか身体がぎくしゃくする。念のため、体温計を脇に挟んでみたが熱はない。シャワーを浴び、あまりに眠いので早くベッドに入った。横になってじっとしていると、やっぱり身体の奥に鈍い痛みのような、熱の卵のようなものを感じる。もう一度体温を計ると、今度は微熱があった。

 寝苦しくて夜中に目を覚ます。そのたび、言葉にできない不愉快さが体の奥で増幅していくように感じた。翌朝、熱が38度台まで上がったのでその日の予定をキャンセルした。そういう連絡をするのもやっとで、病院に行きたいのに動けない。この、身体を持て余すようなしんどさはコロナに違いない。そう思って、キッチンの戸棚の奥から検査キットを引っ張り出して調べたら結果は陰性。翌日、かかりつけ医でしたインフルの検査も陰性で、釈然としないまま夕方、ふたたび検査キットを使ってみると、今度はコロナの陽性反応が出た。

 そこからは同居人が仕事場に避難したり、Rが自室に籠って隔離対策をしたりと慌ただしかった。幸いその週は涼しく、日中も窓を開け放しにできた。コロナ患者は、一番辛いときにケアされるどころか、みんなに避けられるので寂しい。

 でも、こっちゃんだけは違った。寝込んだ日から、わたしの見える位置に留まって安否を見守る体制に入った。朦朧としながらときにうなされて目が覚めると、こっちゃんが景色のどこかに必ずいた。寝ぼけながら自暴自棄な考えに傾く自分を、こっちゃんの丸い背中がなんとか繋ぎ止めた。姿が見えないときは、布団の足元に感じるちょっとした重さと温度でこっちゃんがそこにいるとわかった。頭を起こすと、暗闇のなかに三角の小さな山が2つ乗った丸いシルエットがある。目を開けたら困ったような顔が目の前にあることも何度かあったが、いまはごっつんこできないんだよ、と伝えてまた眠った。

 コロナをうつしてはいけない、どうかうつりませんようにと思いながら、ただそこにいてくれる小太朗の存在が心強かった。猫は自分勝手だとか、きまぐれだという言説は、猫のある一面しか捉えていないと思う。猫は深い愛情を示すことができる。繊細であるがゆえに、誰かの微かな変化にも敏感でいることができ、相手を気遣い寄り添うことができる。いわばケアする存在なのだということが、この1週間でよくわかった。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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