第33回 4月27日の観察
昨日は個展の最終日で、昼過ぎから夜まで外苑前のギャラリーに在廊した。久しぶりにいろんな人と話をしたので、今日はちょっと疲れている。こちゅみ、ハナ、パンちゃんをフィーチャリングした作品に「かわいい〜♡」って感じの感想をいっぱいもらって嬉しかった。わたしのこと、パンクなキレッキレねえさんだと思っている人には、愛くるしい猫ちゃん満載のスペースが肩透かしだったかもしれないけれど、ドクター・マーチン履いて髪ピンクに染めて、中指立てて舌を突き出すことがパンクだなんて思ったこと、自分は90年代から一度だってない。いまならたとえば、「子供が成人した猫おばさん」でいることはめっちゃパンクだなと思うし、そもそもこちゅみとオハナを見ていると彼らこそパンクの王道をいってるよな、と思う。
オハナはとにかく、繁殖屋の劣悪な環境を生き延びたというだけで本当に尊敬する。オハナがオハナじゃなかったら、ストレスや病気に負けて死んでいたかもしれない。ちょっとの物音にも驚いてアニメの描写みたいに逃げ出すし、散歩中もわたしを待てない、言うことが聞けないのには、彼女がビビリで我がままなわけじゃない別の理由がある。辛かったことはもう思い出さないでほしいけれど、ときどき寝ながらうなされ、自分の吠える声で目を覚ます。最近ようやく我が出せるようになって、ご飯のとき前に出すぎてこちゅみにヘッドロックを決められている。それでも引き下がらないオハナの長所は、やっぱり鈍感力だ。
こちゅみは繊細で優しい。静かに圧をかけるオハナよりミャーミャー!と要求が多く見えるが、こちらの事情を話して聞かせればいつも理解する。わたしの話がわかる。それでも抱っこは嫌だし、気持ちよく撫でられている最中にいきなり噛む。こっちゃんには、やりたくないことは絶対やりたくない、という強さがある。オハナとは違って、みゃおわおの好きにさせてあげたいけどやっぱ無理、という逡巡——わずかな後悔と開き直りのループ——を感じる。自分の欲望と大事な他者への思いやりのあいだで静かに揺れる心の美しさを、小太朗はいつも見せてくれる。