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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第5回 2月19日の観察

 3月に始まるグループ展の準備で、毛糸を編んでいる。セーターとか靴下とかじゃなく、敢えて「毛糸」と言うのは、編んでいるのが「ゲージ」と呼ばれる15cm程度の四角い平編みだからだ。

 高校生のころ、初めて編みものにはまった。しかも、雑誌『Olive』の影響でアラン編みという、アイルランドの漁師に伝わる模様編みに。海に出た家族の無事や大漁を祈って女性たちが編み伝えてきた模様には、それぞれ素敵な意味がある。そしてなにより、可愛い。そんなわけでセーターや手袋、帽子を夢中で編んだ。高校や大学の友人にも編みものは広まり、今ではプロ並みの腕前を持つ人さえいる。わたし自身は多趣味が仇となって、そこまでにならなかった。最後にセーターを編んだのは、確かまだアメリカに住んでいた頃だ。手編みはとにかく時間がかかるし、棒針はそれなりに危ないので、子どもを産んでからすっかり遠ざかっていた。

 去年、名古屋市港区で「ケアの学校」という個展をおこない、そこで「港まち手芸部」という地元の編みものクラブと出会った。アーティストの宮田明日鹿さんを部長に、地域の女性を中心とした90代から小学生までが車座になって編みものをする。前回のあいちトリエンナーレではブース展示もおこなった、注目のアート集団だ。部活に混ぜてもらったわたしも少なからぬ影響を受け、また師匠のような人との出会いもあって、昨年から何十年振りかのセーターに挑戦しようとしている。

 部活動の拠点である「みなとまちポットラックビル」や「カフェNUCO」で編んでいるときは考えもしなかったが、自宅に戻ってようやく編みものの時間が取れる、という段階でハッと気づいた。そういえば、猫ちゃんは毛糸に戯れるいきものではなかったか。子供のころ、猫の挿絵やイラストには、毛糸玉を転がして遊ぶ子猫の姿を描いたものが結構な頻度で存在した。ロッキングチェアに腰掛け、窓辺で編みものをする老眼鏡のおばあちゃんがかなりの高確率でその隣にいたりして。いつのまにか見かけなくなったあの表象はおそらく、セーターを家で編む人が少なくなったために衰退したんだろう。

 こちゅみは転がる毛糸に対してどんな反応を見せるだろう。はたして、わたしの制作は無事に終わるのか。

 恐る恐るダイニングテーブルで編みものを始めたが、彼の興味はいつもどおり、冷蔵庫の扉とガスレンジ上のフライパンにある。しばらく編み進めると首が疲れてきて、そうだ、寝て編もう!(←のび太的思考)とホットカーペットに移動する。身体ほぐし用のポールを首の下に当てながら、仰向けで棒針をせっせと動かす。すると、みゃおわお(ママ)の動向を追いがちなこちゅみもすぐにやってきて、いまや目線の高さにある編み棒の動きに反応し始める。おお、これは……。二本取りした糸がこんがらがった部分に猫パンチを繰り出すこちゅみは、期待を裏切らない。棒針のエッジについた糸留めの素早い動きも気になるらしく、目で追おうとして首がぐるぐる回ってしまう様子がとんでもなく可愛らしい。どれだけパンチしても動きを止めない糸留めをにゅみ氏が噛んで仕留めたところで、首もほぐれたし、と母はテーブルに戻る。追いかけてきた子はもはやフライパンには目もくれず、床に転がった毛糸玉にロックオンしている。小さいほうの玉を咥えてそこらじゅうを走り回り、わたしの周りに生成色の結界を張り巡らせ、足元に戻ってきたにゅみたむは得意げに顔を洗い始める。おや、明日は雨かな、なんて思いながら、みゃおわおは結界を回収するため、老眼鏡を外して立ち上がる。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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