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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第32回 4月4日の観察

 先週末あたり、東京は一瞬夏が来たのかと思うほど暑かった。あの暑さを境に小太朗が生活圏を衣替えしてしまったので、少し寂しい。1階の、エアコンの温風が当たる赤いフェルトのちぐらで寝るこちゅみの姿はもうなく、代わりに2階の寝室でひとり過ごすことが増えた。

 いいこともなくはない。夜の添い寝はしてもらえないが、今後わたしの五十肩は劇的に快方へ向かうだろう。同じベッドの足のほうで丸くなって眠り、朝になったら枕元まで挨拶に来る姿もそれはそれで愛くるしい。ケージの屋根の上に置かれたパンクの名刺繍入り高級低反発ベッドで、開け放たれた窓から入り込む新鮮な空気と光を感じている後ろ姿には心が和む。

 先週、足が痛くて整形外科に行ったら、レントゲンに小さな剥離骨折のあとが写っていた。古い傷かもしれないが念の為ね、ということでバレエのレッスンを休んで家にいる。後回しにしていた仕事を片付けるちょうどいい機会だと思いパソコンに向かっていると、これまた後回しにされがち(だと本人は不服)なこちゅみ氏が、音もなくやってくる。

 遊んでくれ、みゃおわお! キーボードの上を歩いて猫文豪が勝手に加筆した原稿をそそくさと直してから、ギャラクシー師匠の教えに従い、仕事の手を止めて立ち上がる。おもちゃ箱から先端に羽や毛皮がついた棒を取り出し、こちゅみを遊戯エリアへといざなうと、「は?」みたいな顔のまま急ぎ高所から飛び降り、あとを追ってくる。

 それなりに遊んだあとは、おやつをあげることが(ギャラクシー師匠より)推奨されている。ただ、しばらく誘ってもすんとしてノリが悪い場合、彼の望みははなからおやつ一択だ。オーケー、オーケー!と言って彼を抱き、手荷物モードで体重計に乗る。ついでにわかる自分の体重、案の定おやつ食べすぎ親子はどちらも増し増しである。体重がわかったからって、なにがどうなるわけじゃない。こちゅみは要求をやめないし、噛まれたら痛い。ここから始まる攻防に戦々恐々としながら、わたしは白くて四角い体重計の上にしばし立ち尽くす。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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