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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第10回

4月2日の観察(3)

 こちゅみを世話してくれたパイセン猫ナキさんと、念願の対面を果たしたわたしたち。できることなら、こっちゃんも連れてきたかった(無理だけど)! そう思いながらガラス越しにナキさんを激写、帰ってからこっちゃんに見せる動画も撮った。ナキさんが毛繕いし始めたのを合図に、お別れの挨拶をする。ナキ、こっちゃんを育ててくれてありがとう。聞こえるかわからなかったがお礼を言い、こっちこっち、と手招きするミホちゃんのそばに行って、通りを見下ろした。ここから見えるあの木の根元にこっちゃんがいたの。ちょうどいまハイビスカスが咲いているあたり、とミホちゃん。おお……と言ったまま、しばしその地点に見入るわたしとR。道向こうの家の敷地に一輪だけ咲いた、鮮やかな赤のハイビスカスはまるで、こちゅみがそこにいたことを記念する印のように輝いている。

 お店の前の道路は、幅員のわりに交通量がある。一階に降りたわたしたちは通りを横切り、塀を隔てて咲いているハイビスカスを覗き込む。ここに一匹でいたの!?と驚くような、壁と塀のあいだのちょっとした植え込みに木は植っていた。カラスに襲われたり、道で事故に遭ったりしていてもおかしくない……。そんなこと考えながら赤い花を眺めていたらなんだか切なくなってしまったけれど、とにかくこちゅみは無事に保護された。本当に良かった、と思ったら今度はいろいろな巡り合わせへの感謝で胸がいっぱいになった。

 でね、捕まえようとしたらバーッて、この塀の穴を抜けてあっち側に逃げたわけ。そう言いながら、ミホちゃんが沖縄ならではの、壁と一体化した花形ブロックを指差す。だからわたしはここをぐるっと回って……と、解説しながら道筋を辿る彼女のあとについて、わたしたちも「あっち側」に移動する。裏手には駐車場と空き地が合体したような見通しの良い場所がひらけていて、奥には新しそうな家が一軒建っていた。逃げたこっちゃんは、その家の塀の前に座っていたらしい。雑草が生えているその根本を、ミホちゃんがまた指差す。それから塀沿いにこっちゃんを追いかけていき、ついに、わしっ!と捕まえたそうだが、かなり暴れたのでミホちゃんの手は傷だらけになった。いかにも小太朗らしいエピソードだ。

 お店に戻って皆と合流し、こちゅみの預かりに協力してくれた人が他にもいるというので挨拶に行った。近所にある銀細工の工房なのだが、さくら猫と飼い猫が外と中を緩やかに行き来し、犬もハングアウトする、居心地最高!の空間だった。人だけじゃなく、犬にも猫にも可愛がってもらった話をそこでも聞き、こんなにもたくさんの愛を受けてこっちゃんは育ったのかと、嬉しかった。小太朗が優しく、人好きで、好奇心旺盛でありながら慎重、なにより賢くて感受性が強い猫である所以が、沖縄に行ってよくわかった。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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