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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第6回

2月29日の観察

  近所に少なくない野良猫がいることはなんとなくわかっていたが、地元での移動はもっぱら車なので結構な出会いを逃していると思う。歩くのは、都心に出るとき使う駅までの道ぐらいなもの。遠くに姿を見つけた彼らに近づくのは至難の業で、とりあえず得意の鳴き真似をする。ほとんどの猫は振り向いてくれるものの、視線の先にはお仲間じゃなく、顔を白い布で覆い四角いなにかを右手に構えて佇む怪しい人間がいる。そりゃあ警戒して走り去るか、ガン見したままその場に硬直しちゃうわけだ。しかも、小太朗を迎えるまでのわたしは「猫」という動物についてなに一つ知らないずぶの素人。自らのアプローチを「正解」、猫ちゃんを「人見知り」と勝手に解釈していた。笑っちゃうよね。

 それにしても、子供のころに見かけた野良猫はそれなりに人懐こく、足に擦り寄ってきたりした記憶があるのだが、いま考えると彼らはきっと飼い猫だったんだと思う。昔は、もっと多くの人が猫を外に出して飼っていた。猫種特有の深刻な伝染病なども、今のようには知られていなかったに違いない。家のなかだけで過ごさせることや避妊去勢手術は、不自然で可哀相なことだと思われていたように思う。

 オハナちゃんがうちにきて家の周りを散歩をするようになってから、これまで出会うことのなかった猫たちと遭遇するようになった。半年以内に生まれたのかな、と思う子猫もいれば、避妊去勢術を終えた証である切り込みが耳たぶにある子もいる。たいてい距離を詰めることはできないが、ときどきは逃げない子もいる。声だけが聞こえてきて、姿が見えない場合もある。

 そういえば、こっちゃんが家に来る数年前、ベランダの室外機の上に黒猫が寝ていたこともあったが、あの子は元気だろうか。2~3年前からこの辺で見るようになった、大きな白いぶち猫も最近は見かけない。体格が良いだけじゃなく体そのものが大きい子で、三件隣の家の塀の上を粛々と歩く後ろ姿が印象的だった。ときどきうちの駐車場で休憩していて、帰宅したわたしや家の人に遭遇してもぜんぜん動じなかった。わし、お前らなんてちっとも怖くないでー。喋れたらそんな感じだろうと勝手に想像してしまう態度には、ボスの風格を感じた。人間が近寄って行ってもしばらくその場で悠々と我々を眺め、それから、わざとだよね? とツッコミを入れたくなるぐらいゆっくりと向きを変え、堂々たるお尻をこちらに見せつけながら、のっしのっしと歩き去る。あの立ち去り方は相当の強者だねと、ゴルゴ13を思い浮かべながら噂するほどの大猫者感があった。

 そんなあの子を今日の夕方、オハナちゃんとよく通る細い道を散歩しているとき見かけた。はじめはみゃおー、みゃおーという声だけが聞こえてきた。いつのまにか内蔵されていた猫センサーが働き、辺りを見回す。すると、その前を通り過ぎつつあった家の鍵がガチャリ、と開く音がした。続けて扉が静かに開き、中から人が出てきて目線を下に落とす。その先には例のボス猫が、普段とまったく違う雰囲気と横顔で、ちょこんと座っていた。みゃおう、ともう一度甘えた感じで鳴いて、家の中に入っていく。そおか、ここの子だったのか! 野良の子だと思っていたのでちょっと意外だったが、久しぶりに会えたことが嬉しい。しかも、ゴルゴ感ゼロの可愛らしさがほほえましい。ようやく謎が解け、清々しい気持ちで、早く先に進みたいオハナに引きずられるように帰路についた。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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