第34回 5月2日の観察
まだまだ赤ちゃんだと思っていた小太朗だけれど、最近は成猫になったと感じる場面が増えた。早いもので、もうすぐ3歳。猫やチワワは見た目が愛くるしくて小さいので、人より早く歳を取ってしまうのにいつまでも子供だと思ってしまう。
いちばん変わったのは遊びかただ。どんなおもちゃにもどんなタイミングでも反応してくれた、かつての単純さはどこかにいってしまったようだ。棒の先についたおもちゃの反対側にそれを操作するわたしの手があることを理解していて、茶色の羽ではなく手の動きを目で追っている。視線が合うとクールな目つきでじっとわたしを見つめ、少しするとプイッとそっぽを向く。なんだか、すべてお見通しだけど付き合ってあげる、とでも言われたような気がする。
そういうこっちゃんと暮らすことが不思議と、わたし自身をエンパワーしている。自己主張が強くて神経質、わがまま、甘えておいて噛む、爪切りと歯磨きが苦手で、お風呂は入らない、拗ねやすく、怒ったら根に持つ、気まぐれで自由で束縛を嫌う……。巷でよく言われる猫の性質は、ヒトに置き換えたらかなり面倒くさい。嫌われたり、ハブられたり、フラれたりしてもおかしくないし、むしろ友人が「そんな奴とは別れなよ」と積極的にアドバイスしてきそうな誰かであるのに、なぜか猫の場合は多くの人に愛される。猫が嫌いな人はきっと、ただ猫のことを知らないだけだ。猫をそばに置き、猫から数多の実害(=愛)を被るほど、猫を愛さずにいられなくなる。ネガティブに捉えられがちな性質の裏に、それを凌駕する愛嬌や素敵な部分があってこそかもしれないが、個人的にはそれがなくても猫は可愛いし、凛々しいし、美しい。
開き直りなのか童心のままなのか、それとも達観しているのか。猫の潔さをみていると、自分の至らなさや欠点を愛し、許し、わたしらしさとして受け入れてくれる人だって絶対この世界にいると信じていい気がしてくる。無理して自分を変えなくたって、生きていていいのだと思えてくる。こちゅみを眺め、触れ合い、可愛がっているだけで、自分の自尊心が高まる。そんなふうに思わせてくれる相手になんて、そうそう会えるもんじゃない。