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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第41回 8月18日の観察

 実家は近いし、フリーランスだし、お盆休みはいらない。ここ数年は小太朗がいることもあり、年間を通じて家族旅行を計画しなくなった。個人的に、遠出や旅行ができなくても苦痛は感じない。集団で知らない場所に赴くイベントには昔から消極的なのだ。学校行事はもちろん、家族とファミレスに行くだけでも、車酔いで迷惑をかけないかと気が気じゃなかった。アニメや漫画に出てくる子どもって、遠足の前日にてるてる坊主を作ったり、300円分のお菓子を真剣に選んだり、服やら弁当箱やらを新調してもらったりして嬉しそうなのに、自分は違う。明日も家の近くにいたい、教室で計算問題を解いていたいと思ってしまう。

 過去の苦手意識はなかなか払拭できず、いまでも出張や遠いロケ地での撮影は気乗りがしない。知らない人や知らない場所、誰かと時間の約束をすることも苦手だ。そんな自分をずっと持て余してきたが、こちゅみと暮らし、猫の風変わりな行動を目の当たりにしてからはそうでもなくなった。昭和の中学生なら生活指導室に絶対呼ばれる行動をときどき取るこちゅみだが、悪びれるふうはなくいつも堂々としている。嫌なことがあればダダダッ!と2階に駆け上り、窓辺のバリバリボウルかケージ上の低反発ソファに避難し、こちらに背を向けたまま外を眺め、何も聞こえないふりをする。

 人間にはちょっと不可解な猫の性質には例えば、甘えてきたので撫でてやると、しばらく気持ちよさげにゴロゴロ喉を鳴らすのだが、ある瞬間にいきなり噛みついてくるというのがある。抱っこが苦手な猫は多いようだし、家に客が来たり、ものの配置を変えたりしただけでどこかに隠れたり、ご飯を食べなくなったりする。遠くから大声でわたしを呼んでおいて、なあにと近寄ると無視をする。かと思えば、トイレのあと排泄物を丁寧に覆い隠す几帳面さもある。こうした全てが、猫飼い同士の会話やYouTubeの猫チャンネルにおいては「常識」として広く認知&許容されている。

 外出嫌いも、猫常識のひとつだ。こちゅみの場合、近所を一周するお散歩は楽しめるが、車に乗るのは嫌がる。当初、こうした常識にいちいち驚き戸惑っていたが、いまではすっかり慣れた。そして、もしかすると両親も、あの頃わたしをこんな気持ちで眺めていたのかなぁ、などと考える。感覚が過敏で、こだわりの強い自分はみんなに迷惑をかけるダメな子だと、長いあいだ思ってきた。けれどもいま、あの頃の自分にちょっと似てるこちゅみが可愛くて仕方ないという状況になって初めて、きっと自分も母と父に愛されていたんだな、と思える。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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