第3回 貴族の称号(下)
称号の複雑さ
「ロード」、「サー」、「レイディ」の称号が名前につくのか、名字なのか、結婚後はどうなのかなどによって、その人物が貴族のどの爵位なのか、長男なのか、次男以下なのか、妻なのか、未亡人なのか、または離婚した妻なのかといったことがある程度わかるのは、以前にも書いたとおりである。特に二十世紀以降、離婚が増えると、先妻と後妻を区別する必要が出てくる。たとえば二十世紀の作家で、イギリスのアッパー・ミドル・クラスの世界を穏やかなユーモアをもって描写し、ジェイン・オースティンと比較されることも多い、バーバラ・ピム(1913〜80)という小説家がいる。その作品『不適切な愛情』(1963年執筆、1982年出版)には、レイディ・セルヴィッジという准男爵の妻が登場する。彼女は夫の浮気が原因で離婚し、さらに夫が再婚したので、いまや彼女への手紙の宛名(封筒の宛名も)は「レイディ・(ミュリエル・)セルヴィッジ」と、ファースト・ネームがかっこつきで添えられる。イギリスでは離婚後も夫の名字を使うことが普通だが、新しいレイディ・セルヴィッジと区別するために、このようなかたちでファースト・ネームが示される必要があるわけで、離婚していなければ彼女は夫の名字に敬称がついて、たんにレイディ・セルヴィッジであった(未亡人であれば「ミュリエル、レイディ・セルヴィッジ」となる)。つまり、ファースト・ネームをかっこに入れられることで、離婚しているのが明白になるのである。彼女に称号がなければ、たんに「ミセス・ミュリエル・セルヴィッジ」であって、かっこは必要ないのだが、「レイディ」という称号があるために事情が複雑になる。
時々、「レイディ・ミュリエル・セルヴィッジ」という、間違った宛名の手紙が来ることもあった。そういう時には彼女は自分が伯爵、侯爵、あるいは公爵の娘でさえあることを想像した。自分が気楽な未婚の娘である、と。
(『不適切な愛情』第5章)
つまり、そのまま、かっこなしでファースト・ネームを書いた場合は、平民の場合と違って、「レイディ」の称号がファースト・ネームに付随する、つまり前に書いた「儀礼上の称号」で、彼女が公爵、侯爵あるいは伯爵の娘であるということになってしまうのである。
イギリス文学の作品の中で最も有名な「レイディ」の一人はやはりなんと言ってもD. H. ロレンスの『レイディ・チャタリーの恋人』(1928年)の主人公だろう。「サー」と違って「レイディ」の敬称は、准男爵やナイトの妻だけでなく、公爵以外のすべての爵位について使われる(公爵の場合のみ、相手を呼ぶときも「ロード」、「レイディ」ではなく、「公爵」(Duke)、「公爵夫人」(Duchess)という呼称を使う)。したがって、小説のタイトルを見ただけでは、主人公の夫が爵位を持っているのかナイトなのかまではわからないが、少なくとも彼女がそのいずれかの妻であることはすぐにわかる(小説の冒頭で、結婚後に夫が父の後を継いで准男爵になったという、より詳しい地位が明かされる)。そしてこのタイトルはおそらく、ヴィクトリア朝後期に人気のあった、上流階級の女性をめぐるスキャンダルもの、たとえばオスカー・ワイルドの戯曲『レイディ・ウィンダミアの扇』(1892年)のようなものを思わせる。同じスキャンダルものでも、華やかな社交界を舞台にしたワイルドの喜劇とロレンスのこの小説は、もちろんまったく趣きが違うのだが、「レイディ」という称号がもたらす効果と期待感は重要なのである。
貴族の称号に関するこういった細かいルールを、すべてのイギリス人がわかっているわけではないのは言うまでもない。特に二十世紀以降の小説やテレビドラマ、映画などには、この分野の間違いがよく見られる。たとえばイギリスのジャーナリストで、BBCに勤めた経験もある作家ダイアナ・アップルヤードの小説『火遊び』(2005年)は、階級と恋愛を扱った軽い娯楽小説だが、その中に次のような記述がある。
セーラがつきあっている、いささかむさくるしい格好をした若者が、サー・ルパート・コテリルの次男、ジ・オノラブル・トム・コテリルだとわかると、セーラの母親は驚喜した。トムとその家族に出会うまで、セーラはこのような人々がまだ存在しているとは思っていなかった。 (Diana Appleyard, Playing with Fire, Black Swan, 2005, p. 71)
トムの家はけっして金持ちではない。着ているものはお洒落でも新しくもなく、古くて大きな家は手入れが悪く崩壊寸前で、家族はその中の二つの部屋でもっぱら暮らしている。トムの母親は「相続」や「相続税」を話題にし、なんとかしてこの家を長男が継ぐことができるように保とうしている。彼女はなぜか「ジャンボ」と呼ばれているが、本名は不明のままだ。キッチンには犬や猫がねそべり、セーラの母親が見たら「バクテリアを恐れて卒倒するだろう」。そしてこれらの要素はすべて、これまでイギリスの小説や演劇で描かれてきたアッパー・クラスのステレオタイプそのものなのである。アッパー・クラスだから、大きな屋敷や土地の維持に苦労して、経済的に困窮している。経済的な理由だけでなく、アッパー・クラスは人の目など気にしないので、身なりにもかまわないし、衛生にも無頓着である。名前については、たとえばアガサ・クリスティの作品には、「ブライト・ヤング・ピープル」とマスコミに呼ばれた、ものごとに無頓着で、大胆で傍若無人な、戦間期のアッパー・クラスの若者たちが登場するが、彼らは「ビンゴ」や「バンドル」など、本名とはかけ離れた意味不明のニックネームで呼ばれることが多かった。アップルヤードの「ジャンボ」もそれを意識しているのだろう。
しかしここで最も問題になるのは、アップルヤードの小説の中での称号の使い方が間違っていることである。セーラのボーイフレンドの父親は「サー」の称号を持っているので、これまで見てきたように、准男爵かナイトだということになる。しかし、どちらであれ、その息子は長男だろうが次男だろうが、「オノラブル」の敬称で呼ばれることはない。普通に「ミスター」と呼ばれるはずなのである。
イギリスの貴族の称号はこのようにかなり複雑で、その細部まで頭に入っている人間は少ないだろう。詳しいとしたら、自分自身が貴族の一員か、あるいは貴族の家に勤める使用人、特に執事や従僕、ハウスキーパーといった、主人やその客に近い位置にある使用人かもしれない。しかし、こういったことがらに関する情報を提供してくれる書物も昔から存在する。
ここでまたジェイン・オースティンに戻ると、彼女の最後の完成された小説『説得』(1818年)の冒頭に、ヒロインのアン・エリオットの父、准男爵のサー・ウォルター・エリオットがお気に入りの本を読んでいる場面がある。それが何かというと『准男爵名鑑』(Baronetage)なのである。『説得』のオックスフォード大学出版局版の注釈をつけた研究者ジョン・デイヴィーは、これはおそらくディブレット社が1808年に発行した、全二巻の『イングランドの准男爵名鑑』ではないかと注釈をつけている。貴族名鑑や准男爵名鑑はいくつかの種類があるが、たぶん最もよく知られていて、現代でも読まれているのはディブレット社が発行しているものだろう。ジョン・ディブレットは1802年に『イングランド、スコットランドとアイルランドの貴族名鑑』を全二巻で発行し、三年後には『准男爵名鑑』を発行した。それぞれ題名のとおり、国内の貴族、准男爵の家について、歴代当主の名前、結婚した年と相手の名前と両親、子供の生まれた年と名前といった情報が詳しく書かれている。これを見るとその家が古くからの貴族なのか、新しいものなのかといったこともひと目でわかる。オースティンのサー・ウォルターにとって、『准男爵名鑑』はお気に入りというか、実は「楽しみに読む唯一の本」であり、嫌なことがあっても、この本をとりあげると気持ちが晴れるという。彼が読むのは自分の家族についての部分だけであり、その歴史と地位についての記入を読んで悦にいる。サー・ウォルターの軽薄で虚栄心と自惚れの強い自己中心的な性格が、この冒頭のわずか数行で読者に伝わるのである。
ディブレットは後に『貴族名鑑』と『准男爵名鑑』を一冊にまとめた。さらに冒頭に、イングランド、スコットランドとアイルランドの貴族の爵位についての解説、それぞれの呼び方、手紙を書く場合の封筒の宛名の書き方、手紙の冒頭で相手の名前をどう書くかなどの詳しい情報も入っていて、貴族やその家族の呼び方などについて知りたい場合のかっこうのガイドとなっている。ただ、イギリスの貴族と准男爵の家が全部収められているので、かなり分厚い書物になるのは言うまでもなく、たまたま手元にある2003年版を見ると、全部で1136ページもあり、ずっしり重い。今では電子版も出ているし、ディブレット社のウェブページを見れば貴族の呼び方などの情報はそこから無料で得ることができる。ディブレットはさらに、マナー本や、ロイヤル・アスコット(競馬)やヘンリー・ロイヤル・レガッタ(ボートレース)など、各種アッパー・クラスのイベントでの作法、ドレスコードなどのガイドも発行している。話し方や振る舞い方のトレーニングも手がけていて(オンラインのコースもあるようだ)、イギリスのアッパー・クラスに関する、信頼できる資料となっている。『貴族名鑑』はサー・ウォルターの場合のように愛読書とまでいかないにしても、貴重な参考書なのである。
【書籍化のお知らせ】
本連載に加筆・修正のうえ、書籍として刊行いたします。
『ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級』新井潤美 著
2021年12月下旬刊