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新井潤美「ノブレス・オブリージュ——イギリスの上流階級」

第1回 貴族の称号(上)

 2020年の1月にイギリスのチャールズ皇太子の次男ハリー王子とその妻メーガンが、「主要王室メンバーとして一歩下がる(step back)」という要求を表明した。その後、エリザベス女王、チャールズ皇太子、そしてハリー王子の兄ウィリアム王子も出席して会議が開かれ、ハリー王子夫妻はその年の春から「女王の正式な代理」という資格を失うことが発表された。夫妻が希望どおり「一歩下がる」のではなく、完全に公務から「引退」(step down)させられたとメディアは書きたてた。この件の詳細をここで論じるのは避けるが、ここでは彼らの称号がこれからどうなるか見てみたい。
 現在のハリー王子の正式名称はHis Royal Highness the Duke of Sussex, Earl of Dumbarton and Baron Kilkeel(サセックス公爵、ダンバートン伯爵、キルキール男爵殿下)で、メーガンはHer Royal Highness the Duchess of Sussex(サセックス公爵夫人妃殿下)である。ハリー王子の三つの爵位は彼の結婚式の日の朝にエリザベス女王から与えられたものだ。そのうち、サセックス公爵はいわゆる「正式」(substantive)な爵位と呼ばれ、残りの二つの爵位は「副次的」(subsidiary)な爵位と呼ばれる。複数の爵位を持っている場合、最も上の爵位が「正式」、残りが「副次的」になるのだ。ここでイギリスの爵位を確認しておくと、上から公爵 (duke)、侯爵(marquess)、伯爵(earl)、子爵(viscount)、男爵(baron)となり、これらが世襲貴族(hereditary peer)である。さらに爵位が子供に相続されない一代貴族(life peer)、そして世襲制だが「貴族」とは見なされず、貴族院のメンバーにもなれない准男爵(baronet)がある。
 「サセックス公爵」という爵位そのものは、1801年にジョージ三世の六男オーガスタス・フレデリック王子のために創設されたものだった。王子とその妻レイディ・オーガスタの間には息子と娘がいたが、二人の結婚は「王室の許可のもとに行われなかった」として無効となり、二人の子供たちも法律上は「庶子」ということで、爵位を相続することができなかったのである。一方、「ダンバートン伯爵」と「キルキール男爵」の称号は「副次的」な爵位である。前者はスコットランドの爵位で、1675年に創設され、1749年には相続者がいないため消滅していた。「キルキール男爵」は北アイルランドの小さな漁港に由来する爵位で、ハリー王子に敢えて北アイルランドの爵位を与えるために、新たに創設された。
 ハリー王子が公務から退いた場合でも彼の爵位がなくなるわけではないが、「殿下」「妃殿下」という称号は今後は使わないことで合意したという。ただし、彼らが正式に王室のメンバーからはずれたわけではないので、「殿下」「妃殿下」が使えなくなるわけではない。一方で、たとえばハリー王子の母親のプリンセス・ダイアナは、チャールズ皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ殿下 His Royal Highness the Prince of Wales)と結婚した時にプリンセス・オブ・ウェールズ妃殿下(Her Royal Highness the Princess of Wales)という称号を与えられたが、1996年に離婚してからは「妃殿下」という称号は使えなくなり、「ダイアナ、プリンセス・オブ・ウェールズ」(Diana, Princess of Wales)となった。プリンセスではあり続けるが、「王室」を表す形容詞Royalはもう王室のメンバーではないので使えない、というわけだ。ちなみに、ダイアナの死後にチャールズ皇太子と結婚したカミラの正式な称号はプリンセス・オブ・ウェールズ妃殿下(Princess of Wales)なのだが、カミラはこの称号を敢えて使わず、コーンウォール公爵夫人(Duchess of Cornwall)として知られている。コーンウォール公爵とはチャールズ皇太子の副次的爵位であり、カミラは、事故で亡くなったダイアナへの敬意として(そしておそらく世論も考慮して)、プリンセス・オブ・ウェールズの称号を使うのを避けることにしたのである。
 このように、ひとりの貴族がいくつかの爵位とそれに伴う称号を持つことはよくあるが、実際に通称として使うのはひとつである。ただし、複数の称号を同時に使う例として思い出されるのが、シェイクスピアの悲劇『マクベス』(1606年)である。シェイクスピアはひとりの人間を、その人間の持つ複数の称号で繰り返し呼ぶことによって、劇的な効果を挙げている。
 スコットランドの将軍マクベスは、同じく将軍で友人のバンクォーと一緒に戦場から帰る途中に、不気味な三人の魔女に出会う。三人はそれぞれマクベスを「グラミスの領主」(Thane of Glamis)、「コーダーの領主」(Thane of Cawdor)、「今後王になるお方」と呼んで挨拶する。マクベスは、たしかに自分はグラミスの領主だが、コーダーの領主は別に存在するし、ましてや王になることなどありえないと反論する。そこへ使いの者が現れ、現コーダーの領主が裏切って失脚したため、マクベスが新たにコーダーの領主となったことを二人に告げる。魔女の言ったことがひとつ実現したことに驚いたマクベスは、王になることの可能性も考え始める。そして、このことを聞かされた妻のレイディ・マクベスにもそそのかされ、国王ダンカンがマクベスの城を訪れる際に暗殺する計画をたてる。
 眠っているダンカンを殺したマクベスは、妻にこう告げる。

 叫び声が聞こえたんだ、「もうお前は眠ってはならない!
 マクベスは眠りを殺した」
 [中略]
 「グラミスは眠りを殺した、だからもはやコーダーは
 眠ってはならない、マクベスは眠ってはならない!」と。
 (第二幕第二場)


3人の魔女と出会ったマクベスとバンクォー
(1855年、テオドール・シャセリオー画)

 この不気味な叫び声は、マクベスをそのいくつもの称号で呼ぶことによって緊張を高め、ドラマチックな効果をあげているのである。
 現実において、副次的爵位が重要となるのは、特に公爵、侯爵と伯爵それぞれの長男の称号においてである。この上位の三つの爵位の場合、長男は父親の副次的爵位を使った爵位で呼ばれる。これは正式な爵位でないため、「儀礼上の爵位」(courtesy title)と呼ばれる。
 たとえばイングランドの北部ダービシャーにチャッツワスという広大な屋敷を持つ第十二代デヴォンシャー公爵ペレグリン・キャヴェンディッシュは、2004年に父親が死去して爵位を受け継いだが、それ以前はハーティントン侯爵という儀礼上の爵位を持っていた。この爵位は彼の父親が1950年に第十一デヴォンシャー公爵になったときに、まだ六歳だったペレグリンに与えられたものである。実はペレグリンの父親アンドリュー・キャヴェンディッシュは第十代公爵の次男として生まれた。次男なので、儀礼上の爵位はなく、次男以下に与えられる「ロード」の称号をつけて、ロード・アンドリュー・キャヴェンディッシュと呼ばれていた。ところがアンドリューの兄のウィリアムが1944年に戦死したため、父親の爵位を継ぐことになり、アンドリューにはハーティントン侯爵という、儀礼上の爵位が与えられた。アンドリューが公爵になると、長男ペレグリンがハーティントン侯爵となった。
 このように称号は、その人が公爵、侯爵、伯爵の長男か次男以下なのか、その下の爵位の家の息子なのか、貴族の娘なのか妻なのか、離婚した妻なのか、といったことを示す仕組みになっている。「正式」な爵位と「儀礼上の」爵位の違いも、実は英語の表記でわかる。「正式な」爵位はThe Duke of Devonshireと、「the」が頭につくのだが、「儀礼上の」爵位はMarquess of Hartingtonといった具合に、「the」がつかないのである。
 たとえイギリスで生まれ育っていても、このような微妙な違いを知る人間は実は少ないのだが、「ロード」、「レイディ」、「サー」の称号は、小説や演劇でしょっちゅう出てくるので、大まかなことを理解している人は多い。なので次回ではあえてフィクションの登場人物を例に、さまざまな称号を見ていきたいと思う。

【書籍化のお知らせ】
本連載に加筆・修正のうえ、書籍として刊行いたします。
『ノブレス・オブリージュ イギリスの上流階級』新井潤美 著
2021年12月下旬刊

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著者略歴

  1. 新井潤美(あらい・めぐみ)

    東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士号取得(学術博士)。東京大学大学院人文社会系研究科教授。主要著訳書:『執事とメイドの裏表―イギリス文化における使用人のイメージ』(白水社)、『階級にとりつかれた人びと 英国ミドルクラスの生活と意見』(中公新書)、『不機嫌なメアリー・ポピンズ イギリス小説と映画から読む「階級」』(平凡社新書)、『パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』(岩波新書)、ジェイン・オースティン『ジェイン・オースティンの手紙』(編訳・岩波文庫)

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