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「猫ちゅみ観察記」長島有里枝

第49回 12月22日の観察  

 奈良の出張から戻った昨日、玄関には誰のお迎えもなかった。ただいまぁ、といちおう発声して家に入ると、居間のホットカーペットの上でこちらに尻を向けて座っていたこちゅみが、見返り美人図さながらに首だけ回して一瞥をくれた。猫を素通りし、ダイニングテーブルの足元に荷物を下ろすと、オハナがまっすぐ足元にやってきた。会いたかったよぉ、と顔まわりを撫でくり回して顔を上げると、キャットタワーの三段目にこちゅみが音もなく移動していた。ちゃっちゃん、ただいま!と努めて明るく声をかけたが、なんとも言えない渋い顔でじっと丸まったまま、黙ってこちらを見下ろしていた。

 出発前日の夕方から鼻水が出はじめ、体調のすぐれないまま新幹線に乗った。翌日は大勢の前で話す仕事だったので、到着してすぐ内科を受診した。熱はないしインフルエンザではない、コロナもたぶん大丈夫、ということで風邪薬をもらってホテルにチェックインして早めに寝た。薬と休養のおかげで講演会は無事終了したが、今日は何もする気が起きない。昨日の深夜、「アゲ!みゃおわおおかえり運動会」を開催して疲れたのか、こちゅみもまだわたしの腕枕で眠っている。このまま昼までベッドにいたかったが、ハナに今年最後のシャンプー予約があったので仕方なく起きる。

 今年のマイ漢字は「辛」。最近、なんかしんどいなと感じることがよくあり、特にこの先の人生のこと、お金のこと、なかなか時間がなくて進まない仕事のことを考えると、砂袋をぐるぐるに括りつけたように心が重い。まぁ、考えなければいいだけなんだけど、そうできないので困ってしまう。こちゅみとオハナはいったいどんな気持ちで日々、わたしと暮らしてくれているんだろうか。

 オハナを受付に預け、シャンプーが終わるまでGと一緒に近所のガストで待った。朝ごはんを食べ終え、2杯目のコーヒーを飲みながら、今日はお迎えの連絡遅いねと言い合う。でも、さすがに遅くない? そうだね。電話してみようとiPhoneを開くと、マインドフルネスモードで通知がオフになっていただけで、実は1時間近く前に電話があったとわかり、慌てて店を出る。電話に出ず、皆を待たせたことで辛くなっていたら、そういうこともあるよ大丈夫、とGがのんびり構えてくれたのでちょっと楽になる。

 午前の診察が終わりそうな病院は、お年寄の犬で混み合っていた。すでに退勤したトリマーさんに代わって看護師さんが運んできたオハナは、真っ白い毛がふわふわで抱きかかえると優しくて甘いにおいがした。

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著者略歴

  1. 長島有里枝(ながしま・ゆりえ)

    東京都生まれ。1999年、カリフォルニア芸術大学MFA写真専攻修了。2015年、武蔵大学人文科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。2001年、『PASTIME PARADISE』(マドラ出版)で木村伊兵衛写真賞受賞。10年、『背中の記憶』(講談社)で講談社エッセイ賞受賞。20年、写真の町東川賞国内作家賞受賞。22年、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』(大福書林)で日本写真協会学芸賞受賞。23年、『去年の今日』で野間文芸新人賞候補。主な個展に「そしてひとつまみの皮肉と、愛を少々。」(東京都写真美術館、2017年)、著書に『テント日記/「縫うこと、着ること、語ること。」日記』(白水社)、『こんな大人になりました』(集英社)、『Self-Portraits』(Dashwood Books)などがある。

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