第17回 古い活用形の宿存
Q:같아《同じ》は같애[가테]とも言いますが、なぜでしょうか。
A:面白い質問ですね。実際の話しことばでは[가테](注1)という発音を頻回に耳にしますし、SNSなどでは文字上でも‘같애’と書かれたりします。これも歴史言語学の圏域から照らすことで釈しうる現象です。
もともと같다《同じだ》は、kʌthʌ-という하다用言でした(注2)。しかし、時代の遷移とともに、kʌthʌ-は같-に変化し、それに伴って、用言語尾-아/어が付いた形(第Ⅲ語基)も같아となりました。現代語の規範としても같아が正しいとされています。にもかかわらず、話しことばにおいて같애[가테]という脱規範的な形が使われるのは、같다が하다用言であった頃の活用形(現代語風に書けば갇해)が残照として現在でも保たれていると考えることによって説明がつきます。
似たような例としては、귀찮애(<귀찮다《面倒だ》)があります。귀찮다は語源的にはkui(貴)chi ’anihʌ-が縮まってできた単語で、これも하다を含んでいますので、話しことばでは귀찮아のみならず、귀찮애という語形も現れます。また、괜찮다《構わない、なかなか良い》も、귀찮다と同じく本来하다を包含した괜하지 아니하-の如き形に由来するため、一部の方言においては괜찮애のような活用形が認められます。
さらに関連して、싫다《嫌だ》の第Ⅲ語基には非標準語形싫여-が存在します(注3)。싫다は中世語ではsɨrhʌ-(注4)という하다用言の一種でしたので、싫여-の여は、하다の第Ⅲ語基の書きことば形하여-の여と見做すと理路が通るように思われます。
その他、古い活用形が非標準的な形として宿存している例としては、第6回でも触れた、바꾸다《変える》の第Ⅲ語基바꽈-があります(注5)。これは하다用言とは無関ですが、바꾸다の中世語形が밧고-であったことを想起すれば、その理由はお分かりかと思います(注6)。
ちなみに、ほかによく使用される非標準的な活用形として、바래-(<바라다《願う》)がありますが(注7)、これについては語史的な解釈が困難です。おそらくは하다の第Ⅲ語基해-やㅎ変則用言の第Ⅲ語基(e.g. 노래, 파래)などに引かれて生まれた類推的な形であろうと推測されますが(注8)、바라다は中世語でpʌra-であり、하다とは何の関係もありません。なお、하다の第Ⅲ語基が해-になるのも考えてみると不思議ですが、해-は하다に相当する中世語のhʌ-の第Ⅲ語基hʌja-が変化して生じた形と見るのがよさそうです(注9)。
また、알어、많어などのように、陽母音語幹に-아ではなく-어が付いた非標準形がありますが、これも歴史言語学とは別位相の問題で、「母音調和の乱れ」と呼ばれる共時的な現象です。母音調和の乱れはなかんずく語幹末母音が‘ㅏ’で、かつ第Ⅲ語基が해体の終止形としてそのまま用いられるときに生じます(注10)。
(注1)現代のソウル方言においてはㅔとㅐの発音上の区別はなく、いずれも[e]と発音されますので、綴りとしてはㅐであっても、発音表記としては[ㅔ]を用いておきます。
(注2)中世語で하다《する》にあたる用言はhʌ-で、ha-は《多い、大きい》の意でした。第7回もご参照ください。
(注3)例えば、青鹿派の著名な詩人・朴斗鎮の「해」という詩には「달밤이 싫여」などといった表現が見られます。
(注4)sɨrhʌ-は、sɨrhʌ->sɨrh->sirh-という変化を遂げますが、sɨrh->sirh-は第3回でも言及した、19世紀に生じた母音の前舌化によるものです。
(注5)なお、元来、子音と母音の間に半母音/w/の介入を基本的に許さない慶尚道方言においては、바까-という語形がよく用いられます。
(注6)밧고->바꾸-のように、近代語の時期には、非語頭のㅗがㅜへと変化する現象が見られました:e.g. pʌiho->pai’u-《学ぶ》、nʌnho->nanu-《分ける》、macho->macchu-《合わせる》。
(注7)ほかにも、나무래-(<나무라다《叱る》)、놀래-(<놀라다《驚く》。놀래다は規範的には《驚かせる》の意)などのように、語幹が라で終わる用言には、こうした特異な活用形を見せるものがあります。
(注8)現代語のㅎ変則用言ももともとは하다用言に起源します。e.g. norahʌ->norah-《黄色い》。
(注9)韓国語においては、pʌjam>paim《蛇》、kajami>kaimi《蟻》のように、ʌja>ai、aja>aiという変化が一部の単語に散見されることを顧慮すれば、首肯しうるでしょう。
(注10)ですので、例えば、놀어、알어서、알어요などといった形では使われないということです。



