第15回 謙譲の接尾辞
Q:합니다体の平叙形を作る語尾-습니다は[슴니다]と発音されるのに、なぜ‘습니다’と表記されるのでしょうか。
A:第13回と同じく、発音と表記の懸隔についての問題ですね。語学の授業では、「‘습니다’と書く決まりだが、口音の鼻音化が生じるので[슴니다]と発音される」というぐらいの説明で終わるのが普通かと思います。しかし惟るに、-습니다はこれ全体でひとつの語尾であって、‘습’のみが分離して現れることはありませんので、はじめから発音通りに‘슴니다’と書いてもいいはずです。形態主義を原則とする現代語の正書法において、例えば앞《前》+날《日》という合成語の앞날[암날]《未来》を‘암날’ではなく‘앞날’と書くのは首肯できますが、습+니다の如く分割不可能な[슴니다]をわざわざ‘습니다’と書かねばならないということには疑問を感じる方も寡少ではないでしょう(注1) 。
実は、-습니다は通時的には、中世語の-sʌβ-nʌ-ŋi-ta(注2)という4つの語尾類が連鎖した形に由来します。-sʌβ-は「謙譲」、-nʌ-は「現在」、-ŋi-は「丁寧(恭遜)」を表す接尾辞(先語末語尾)で、-taは語末語尾です。つまり、-습니다に含まれる‘습’は、語源的には単独で析出可能な謙譲の接尾辞-sʌβ-から来ており、それゆえ‘슴니다’ではなく、‘습니다’と綴ることになっているのです。語源を意識したかかる表記は、〈歴史主義的表記〉と称呼されます(注3) 。
中世語の-sʌβ-には3種類の異形態がありました。母音語幹やㄹ語幹、ㄴ語幹、ㅁ語幹に結合する場合には-zʌβ-、ㄷ語幹やㅈ語幹、ㅊ語幹に結合する場合には-cʌβ-で現出し、-sʌβ-はそれ以外の語幹に結合する際に実現するというのが基本です(注4)。現代語において-습니다が母音語幹やㄹ語幹の後で-ㅂ니다という形で現れるのは、粗笨に言ってしまえば、第10回で叙述したように、/z/が16世紀後半には消滅したためです。/z/が失われても、謙譲の接尾辞は初声の子音を欠いた-’ʌp-、-’op-などといった形で残りますが、やがて中声の母音も姿を消し、現代語の-ㅂ니다においては終声ㅂの存留によって-zʌβ-の痕跡がかろうじて窺える程度になっています。
意味論的な側面からは、「謙譲」を表す要素である-sʌβ-が、時代が下るにつれてその原義を喪失し、「丁寧」を示す語尾の一部へと変遷していった(注5)という点も特記すべきです(注6)。日本語の丁寧の助動詞「~ます」も、本来謙譲の意味を添える「まゐらす」が「まらする」となり、さらに「まっする」などを経て成立したものです。琉球語においても、謙譲から丁寧に転じた古代日本語の「はべり」を包含する語形が丁寧形として用いられています(注7)。
他方、時代を遡航すると、-sʌβ-は《申し上げる》の意の動詞sʌlβ-が文法化したものだと考えられています。現代語の謙譲動詞사뢰다《ibid.》もこのsʌlβ-が変化して生じた単語です。
翻って、現代語の謙譲動詞にはほかに、뵙다《お目にかかる》、여쭙다《お伺いする》などがありますが、これらの語幹末のㅂも-sʌβ-のβと関係があります。뵙-は뵈-に-zʌβ-が付いた形、여쭙-は中世語で《知らせる》を意味したと思しき古語옅-に-cʌβ-が付いた形に起源します。また、命令形のⅡ-십시오や勧誘形のⅡ-ㅂ시다のㅂ、丁寧の接尾辞Ⅰ-사옵-などもその来歴は-sʌβ-にあります。하오体の語尾-습디다《~していました》に含まれる‘습’も、中世語の-sʌβ-に遡るものであり、[슴니다]を‘습니다’と綴るのは、共時的にはこの-습디다との表記上の整合性も関わっているのでしょう。
なお、現代語の-사옵-にも-sʌβ-と同じく異形態が3種類あり、基本的に母音語幹やㄹ語幹には-옵-、ㄷ語幹やㅈ語幹、ㅊ語幹には-자옵-、それ以外の語幹には-사옵-が付きます(注8)。日常的な言語にあってはあまり目睹しない古語的な接尾辞ですが、「고객님이 전화를 받을 수 없사오니」《お客さまが電話をお取りになれませんので》のような録音音声や、「성은이 망극하옵니다」《畏れ入ります》、「아뢰옵기 황공하오나」《畏れながら》などの時代劇の科白では耳にすることがあります。硬派な上級学習者の中には、金素月の詩「진달래꽃」の一節「가시는 걸음 걸음/놓인 그 꽃을/사뿐히 즈려밟고 가시옵소서」で-사옵-を学んだという方もきっと多くいらっしゃることと思います(注9)。
これを契機に、詩などに現れる神韻縹渺たる韓国語の擬古的な文体と戯れてみるのも面白いかもしれません。
(注1)より厳密に言えば、-습니다は実際に用いられるときには[씀니다]という形でしか現れません。-습니다は子音語幹にしか付かないからです(子音語幹の次に来る語尾類の頭音は濃音で発音される。cf. 안고[안꼬]《抱いて》、심자[심짜]《植えよう》、담습니다[담씀니다]《盛ります》)。
(注2)ローマ字翻字については第1回、有声摩擦音/β/の委細については第9回をご参看ください。-sʌβ-のβは音節末音として発音される場合、[p](鼻音の直前では[m])で実現しますが、ここでは形態音韻論的な表記法に従っています。
(注3)英語やフランス語の綴りや、日本語の歴史的仮名遣いなども歴史主義的表記だと言えます。
(注4)-zʌβ-を代表形とする論考も多いですが、ここでは便宜上-sʌβ-を代表形にしています。
(注5)こうした現象は言語学では〈間主観化〉と呼ばれたりもします。
(注6)序ですが、現代語において、例えばカフェで「커피가 나오셨습니다」(lit. コーヒーが出ていらっしゃいました)のような表現が聞かれるのも、敬語という範疇の内部において、その意味が相転移している(尊敬→丁寧)という点で興味深いです。
(注7)e.g. kachabi:ɴ《書きます》、husabi:ɴ《干します》。ただし、奄美諸島や八重山諸島では別の形を用い、宮古諸島の方言の動詞には丁寧さのカテゴリーが不在とされます。
(注8)-사옵-の語基活用は次の通りです:Ⅰ) -사옵-, Ⅱ) -사오-, Ⅲ) -사와-。辞書には単一の語尾として立項されている-사오이다(母音語幹やㄹ語幹に付くときは-오이다)も通時的には-사오-이-다と腑分けでき、-이-は丁寧の接尾辞-ŋi-の言語化石です。手紙などに使われる古めかしい語尾Ⅰ-나이다の-이-も-ŋi-に由来し、-나-は現在を表す接尾辞-nʌ-から来ていると考えられます。-나이다の前に-사옵-が付いた-사옵나이다という形もあり、分かりやすく言えば、-습니다はこの-사옵나이다が縮まった形ということになります(e.g. 하옵나이다>합니다、먹사옵나이다>먹습니다)。
(注9)「진달래꽃」の一節「말없이 고이 보내 드리우리다」の-우-も標準的な形は-오-で丁寧の接尾辞。「뿌리우리다」の-우-も同様。-리-は意志・推量。



