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「歴史言語学が解き明かす韓国語の謎」辻野裕紀

第14回 語基形成母音

Q:第Ⅱ語基に現れる‘-으-’は一体何なのでしょうか。

A:第Ⅱ語基に現れる‘-으-’は「媒介母音」「介入母音」「つなぎ母音」などと呼ばれるもので、子音の連続を回避するために挿入される母音です。どこまでも「調音」のために差し入れられる母音であって、‘-으-’自体には何の意味もありません。媒介母音はモンゴル語などのアルタイ諸語や二ヴフ語などにも広く見られるものですが、日本語にはこうした母音はなく、媒介母音の存在は日本語との大きな違いです。
 ところで、歴史を遡上すると‘-으-’(注1)は本来的には動名詞語尾(-ㅁ、-ㄴ、-ㄹ)(注2)の要求によって発生した母音だったのではないか、とする仮説があります(注3)。動名詞語尾には母音の支えがなく、子音のみからなるという著しい共通点があり、音連鎖の関係上、子音語幹に接続する場合には支えとなる何らかの母音、つまり媒介母音が必要だったと考えることができるわけです。-면(仮定条件)、-니(理由・原因)、-나(逆接)、-러(注4)(目的)などといった、第Ⅱ語基に付く代表的な用言語尾もその大半は語源的に動名詞語尾を含むものと解釈されており、また、-시-(尊敬)は中世語における音調上の特殊な振る舞いなどから古くはVsi-(Vは母音)の如き動詞語幹の一部であったと推思されていますので、つまるところ、‘-으-’の濫觴らんしょうは、用言語幹と動名詞語尾の間に挟み込まれた、専ら調音のための母音だったと結論することができそうです。
 さらに、この‘-으-’は、体言助詞-은《…は》、-을《…を》などに含まれる으と同類のものです。《…は》に相当する助詞は元来-ㄴであり、子音終わりの体言に結合する際には、体言末子音と-ㄴとの衝突を防遏ぼうあつするために、母音으に支えられて-은という形で現れるようになったものと思量されます。これは-을についても同断で、対格助詞はもともと-ㄹでした。なお、母音終わりの体言に付く-는、-를は、形態的にはおのおの-ㄴ+-은、-ㄹ+-을という、助詞の重複形(二重形)と分析されます。

 ついでに、第Ⅲ語基に現れる‘-아/어-’は、「~(し)て」に相当する接続形を作る語尾で、古くは〈確認法〉などと称される形式を作る接尾辞(先語末語尾)でもありました。‘-아/어-’は主に他動詞に付き、自動詞には‘-거-’が付きました(注5)。‘-거-’は現代語では-거늘、-거든などのように別の要素と結合してそれと全体でひとつの語尾と化す形で残存しています。
 このように、第Ⅱ語基形成母音‘-으-’と第Ⅲ語基形成母音‘-아/어-’は全く性質の異なるものであり、少なくとも歴史言語学的な観点からは同一平面上に布置して論ずることはできません。ただ、먹-, 먹으-, 먹어-といった記述の仕方は、とりわけ言語教育に眼目を置いた共時的記述としては極めて合理的であり、私も語学の講義では語基式の説明を可能な限り取り入れています。

 

(注1)なお、中世語では、第Ⅱ語基形成母音にも母音調和が観察され、陽母音子音語幹には-ʌ-、陰母音子音語幹には-ɨ-が結合しました。
(注2)連体形語尾の-ㄴや-ㄹも〈動名詞語尾〉として束ねられるのは、古くは連体形も名詞として機能し得たからです。中世語の段階ではすでに化石化した用法でしたが、それ以前の口訣資料では一般的な用法であったようです。このことは、例えば、現代語の어른《大人》、이불《掛け布団》がそれぞれ中世語の얼운(<얼-《結婚する》+-운》、니블(<닙-《被る》+-을)に由来することからも窺えます。なお、連体形が名詞としても機能するのは、日本語やアルタイ諸語にも通有な現象です(cf. するがよい、すると同時に)。
(注3)福井玲(2013)『韓国語音韻史の探究』、三省堂。
(注4)中世語では-라であり、これは動名詞語尾-ㄹに古代語の処格助詞-아が付いた形だと考えられています。
(注5)この分布は、日本語古語の「完了」を表す助動詞「つ」と「ぬ」を想起させるやもしれません。

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著者略歴

  1. 辻野裕紀(つじの・ゆうき)

    九州大学大学院言語文化研究院准教授、同大学大学院地球社会統合科学府言語・メディア・コミュニケーションコース准教授、同大学韓国研究センター副センター長。東京外国語大学外国語学部フランス語専攻卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。誠信女子大学校人文科学大学(韓国ソウル)専任講師を経て、現職。専門は言語学、韓国語学、音韻論、言語思想論。文学関連の仕事も。著書に『形と形が出合うとき:現代韓国語の形態音韻論的研究』(九州大学出版会、2021年)など。
    (写真:©松本慎一)

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