第19回 ㄷの流音化
Q:알다《知る》の対義語である모르다の語源は何でしょうか。안 알다と言わないのは不思議な気がします。
A:たしかに韓国語の否定形は通常、用言の前に副詞안を置いて作るため、안 알다と言ってもよさそうに思えます。にもかかわらず、모르다という別語が存在するのは不思議ですよね。一瞥するに、먹다/드시다や英語のgo/wentの如き、いわゆる〈補充法〉のようにも見えます。
しかし一説によれば、모르다は몯(注1)+알다に由来するものと推定されています(注2)。몯と알-の結合によって*모달-という語幹が形成されたのち、第2音節の母音が弱化して*motʌr-となり、さらに母音間の/t/が/r/に変化して*morʌr-へと至ったという考え方です。
このように韓国語においては、母音間のㄷがㄹに変化ないし交替する現象(ここでは仮に〈ㄷの流音化〉と呼びます)が散見されます。例えば中世語では、指定詞이-や先語末語尾-더-(回想法)などにㄷで始まる語尾類が続く場合、ㄷはㄹと交替しました。現代語でも、-(이)라고(<*-(이)다고《…と》)、 -더라(<*-더다《…していたよ》)などにその痕跡が残っています。共時的な分析では、-라고、-더라全体をおのおの単一の語尾として扱うほかありませんが、通時的にはこうした腑分けが可能なわけです。
また、ㄷ変則用言のⅡ)들으-、Ⅲ)들어-《聞く》などといった活用も、語幹末のㄷが母音で始まる語尾類の前でㄹに交替する現象であり、〈ㄷの流音化〉の一種と見做すことができます。
さらに漢字音においても、〈ㄷの流音化〉は見られます。代表的な例は모란《牡丹》です。「丹」の字音は단であるため、本来なら「牡丹」は모단と読まれるはずですが、実際には母音間でㄷがㄹに変化し、모란となっています。차례《次第》、보리수《菩提樹》に見える례(<뎨)、리(<디<뎨)も同質の現象です。
-t入声が朝鮮漢字音において/r/で受容されている点についても、〈ㄷの流音化〉と連関付けて解釈する立場があります(河野六郎説)。これは、中国語から漢字音が流入した際、-t入声字は支えの母音を加えて受容し、その結果/t/が母音に挟まれることで流音化して、さらにその母音が脱落したとする仮説です。
韓国語史においては、고마>곰《熊》、*셔마>셤>섬《島》、*벼리>별《星》のように、もともとC1V1C2V2構造の2音節語であったものがV2の消失(apocope)によって単音節語化した例が観察され、そうした変化が漢字音にも並走的に起こったと考えるのです。
尤も、この仮説に対しては異見が多く(注3)、中国語側ですでに-t>-rの変化が生じていて朝鮮漢字音はその変化後の発音(長安音)を反映しているとする説(注4)や、仏教語の影響とする説(注5)などが提出されています。私自身も河野説は採りませんが、かかる説にも触れておくことで、ㄷとㄹの類縁性についてのイメージが湧きやすくなるでしょう(注6)。
(注1)몯は現代語の못《…できない》に相当するもので、古くはこのように‘몯’と書いていました。現代語でも못の直後には用言、つまり自立的な要素しか来ず、パッチム‘ㅅ’は常に[ㄷ]で発音されますので‘몯’と表記して然るべきですが、慣習的に‘못’と綴る決まりになっています。
(注2)河野六郎(1961)「古代朝鮮語に於ける母音間のㄷの変化」(『河野六郎著作集 第1巻』平凡社 1979年刊所収)。
(注3)河野六郎自身も「この考えに別に執着しない」と言明しています(「朝鮮漢字音の研究」『河野六郎著作集 第2巻』平凡社 1979年刊所収)。
(注4)現在でも贛語(かんご)都昌方言などでは-t入声が[l]に対応しているようです。
(注5)「達磨」「涅槃」など、梵語の-rが-t入声字で写されている仏教語漢訳の具体例を想起すれば理解しやすいでしょう。
(注6)[t][d]と[r]の交替は他のさまざまな言語にも見られます。身近なところで言えば、アメリカ英語のt-flapping(waterが「ワーラー」のように発音される類い)がありますし、日本語の一部の方言ではダ行とラ行が混濁します(和歌山方言では加えてザ行も同時に混同される傾向にあります)。また、琉球語那覇方言はダ行がラ行で現れるのを原則とし、久高島方言は[d]と[r]の区別を持ちません。



