第20回 現在の接尾辞
Q:動詞の한다体平叙形語尾-ㄴ다に含まれる‘ㄴ’は何なのでしょうか。
A:重要な質問ですね。共時的には、-ㄴ다は全体でひとつの語尾とされますが、形容詞などの한다体平叙形には‘ㄴ’が含まれません。そのため、この‘ㄴ’はどこから来たのかと疑問に思うのはもっともです。
結論から言えば、-ㄴ다の‘ㄴ’は、中世語の「現在」を表す接尾辞-nʌ-に由来します。この-nʌ-と終止形語尾-taが結合した-nʌtaが、現代語の-ㄴ다の語源です。-nʌ-については第15回でも触れましたが、ここではもう少し詳しく見ていきます。
中世語では動詞の時制、すなわち現在と過去の対立は、ごく大雑把に言ってしまうと、接尾辞-nʌ-の有無によって示されました。動詞の語形に-nʌ-が含まれていれば現在、含まれていなければ過去というわけです。例えば、現代語の하다に相当する動詞hʌ-を例にとると、hʌnʌtaは《する》(現在)、hʌtaは《した》(過去)を意味します(注1)。
実際には、ほかにも-더-、-거-、-어-など、時相に関わる接尾辞が複数存在したため、中世語の時間表現はもっと複雑怪奇な様相を呈していましたが、極めて単純化すれば、上記のように説明できます。なお、-nʌ-は主に動詞と結合し、それ以外の品詞には基本的に付きませんでした。現代語の形容詞の한다体平叙形に‘ㄴ’が含まれない所以です。
ところで、中世語のこの時制体系は非常に興味深いものです。というのも、外形的にデフォルトとなる時制が現代語と逆だからです。一般に現代語では現在形(より正確には非過去形)が無標で、過去形が有標です。例えば、해요体の해요/했어요という対立においては、現在形には特別な標識がなく、過去形には接尾辞-었-が付加されて過去であることが積極的に明示されています(これを〈現代語的マーキング〉と呼ぶことにします)(注2)。しかし他方、中世語においては現在形のほうが-nʌ-によってマークされ、過去形にはいかなる標示もなされません(これを〈中世語的マーキング〉と呼ぶことにします)。
そして、面白いことに、한다体平叙形の한다/했다の対立には、この中世語的マーキングと現代語的マーキングの双方が併存しています。한다には前述の通り、中世語の現在標識-nʌ-の痕跡が刻まれていますが、했다には現代語の過去標識-었-が含まれていますね。要するに、한다体平叙形は現在形、過去形のいずれもが有標であり、形態上、剰余的な標示となっています。これは中世語から現代語への移行期的な段階を示す形貌と目すこともでき、かかる過剰なマーキングの例としては、動詞の詠嘆形하는구나/했구나なども挙げられます(注3)。
さらに、中世語的マーキングは、現代語の動詞の連体形にも見られます。現在連体形-는の‘느’も、中世語の-nʌ-に起源します。連体形を作る語尾は本来-ㄴであり(第14回参照)、-는は通時的には-nʌ-(現在)+-ㄴ(連体形語尾)と分析できます。一方、過去連体形は-ㄴ/은であり、過去を表す要素は含まれていません。したがって、動詞の連体形においては、現在形が有標、過去形が無標であり、中世語の時制体系がそのまま反映されていると言えます。
(注1)現代語でも、하다、가다などのように格好としては辞書形をそのまま使う用法があり、これを〈アオリスト〉と呼ぶ学者もいます。新聞の見出しやシンポジウムのタイトルなどによく用いられ、意味的には過去だけでなく、現在も表し得ます。
(注2)現代語の過去の接尾辞-었-が-어 잇-の文法化によって生じたことは、第4回で述べた通りです。
(注3)類似例としては、動詞の한다体疑問形하느냐/했냐もありますが、했느냐という形も存在しますので、より複雑です。



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