第18回 属格
Q:《牛肉》を意味する単語には소고기以外に쇠소기もありますが、쇠はどういう意味なのでしょうか。소と同じでしょうか。
A:韓国の現行の標準語規定においては、쇠소기を標準語とし소고기も許容するという形で쇠고기と소고기の両方を「正しい」語形として認めています(第1部第18項)。《牛》が소、《肉》が고기ですので、《牛肉》が소고기であるのは理解できますが、쇠소기の쇠は一体何なのだろうと疑問を持つのは当然のことと思います。辞書では‘쇠-’のようにハイフンが付されていて、《牛の》の意の接頭辞とされています。
쇠は中世語のsjoiに遡ります。쇼sjoが《牛》で、sj[ɕ]は18世紀から19世紀の間に非口蓋音化を起こしてs[s]へと変化したため(注1)、現代語でsjoは소になっています。ではsjoに付いた-iは何かと言うと、《…の》に相当する属格助詞(注2)です。中世語にはいくつかの属格助詞があり、-iもそのひとつでした。-iの使用は限定的で頻現するものではありませんでしたが、母音終わりの体言に結合して属格助詞として機能しました。つまりsjoiは「名詞sjo《牛》+属格助詞-i《…の》」という構造の名詞句であり、それが現代語に化石として残ったのが쇠고기に含まれる쇠というわけです。쇠-を含む単語としてはほかに、 쇠가리《牛のあばら骨》、쇠간《牛の肝臓》、쇠똥《牛糞》、쇠뿔《牛の角》、쇠코뚜레《鼻繋》などいろいろあります(注3)。내《私の》も、中世語のna《私》+-i《…の》に由来します(注4)。
中世語の属格は現代語よりも複雑で面白いので、もう少し見ておきましょう。中世語においてより一般的な属格助詞には、-’ʌi~-’ɨi(注5)と-s(注6)がありました。両者は意味的には等価ですが、主に-’ʌi~-’ɨiは有情物、-sは無情物および尊敬の対象となる有情物を表す体言に結合するという、統辞的な棲み分けが観察されました(注7)。例えば、tocʌkʌi《盗賊の》、mʌrʌi《馬の》、sarʌmʌi《人の》、naras《国の》、puthjes《釈尊の》などといった具合です。tocʌk《盗賊》やmʌr《馬》、sarʌm《人》は普通の有情物ということで-’ʌi、nara《国》は無情物ですので-s、puthje《釈尊》は敬意を込めるべき有情物ですので-sが付いています。いわゆる〈アニマシー=有生性〉に関わる問題は、日本語では「いる」と「ある」の区別(注8)、韓国語では-에게(注9)と-에の使い分けに典型的に現れていますが、中世韓国語まで視野に入れるとそこに属格助詞も加えることができるというのは興味深いです。
ところで、近代語以降も-’ʌi~-’ɨiはそのまま属格助詞として用いられ続けますが(ただしアレアの消失に伴い-’ɨiに一本化)、-sについては生産性を失い後行要素の頭音を濃音化させる要素として化石的に残留しているに過ぎません(注10)。-sが引き起こす濃音化を〈語彙的濃音化〉と呼びますが、語彙的濃音化がいかなる環境で起き、いかなる環境で起きないかは実は未解決の論件で、今後の研究が俟たれるところです(注11)。ただ、「AとB」という等位構造の複合語では起きないということははっきりしており、現代語しか見ていないとなぜだろうと思ってしまいますが、語彙的濃音化が上述のように本来属格構造に端を発した現象であることを勘案すれば得心が行くでしょう(注12)。例えば、봄《春》と비《雨》が結びついて봄비《春雨》という複合語になると濃音化が生じて[봄삐]となりますが、비の代わりに가을《秋》が結びついても봄가을《春秋》が[봄까을]と発音されることはありません(注13)。こうした濃音化は、複合語だけでなく句のレベルで起きることもあり(注14)、その場合先行要素が母音終わりでも사이시옷は書かれません。
属格構造は、現代語では助詞を使わず、単に体言を並置するケースも多いですが(e.g. 선배 친구《先輩の友だち》(lit. 先輩 友だち))、中世語では後行要素が位置名詞の場合などを除けば、そうした用例は稀なようです。さらに、中世語では連体修飾節の主語を属格で表すこともあるなど(注15)、属格についても深掘りすると面白い話題がたくさんあります。
(注1)第13回の注8もご参照ください。ちなみに、前回取り上げた「古形の宿存」との関わりで言えば、中世語において尊敬の接尾辞-시-の第Ⅲ語基は-샤-でしたが、これも非口蓋音化で-사-となり、例えば韓国の国歌「愛国歌」の歌詞「하느님이 보우하사 우리나라 만세」の보우하사の中に残存しています。なお、分けても漢字音に関しては、1945年まで‘샤’の如くjを含む拗音で表記されていた点も付け加えておきます。
(注2)中世語の格助詞については「格語尾」とする立場もありますが、ここでは「格助詞」とします。
(注3)また、쇠똥구리と言えば《タマオシコガネ》、쇠뿔は「쇠뿔도 단김에 빼랬다」という諺で覚えた方も多いと思います。
(注4)同様に、뉘《誰の》も、中世語のnu《誰》+-i《…の》に由来します。中世語で《誰》は누であり、現代語の누구は누に疑問を表す-고が付いた누고から来ています。これを知っておくと、《誰が》が누구가ではなく누가になる理由も見えてきます。
(注5)-’ʌiは陽母音語幹、-’ɨiは陰母音語幹に付きました。
(注6)訓民正音創制初期の文献(『龍飛御天歌』など)では、先行体言の音節末子音の種類によって、sだけでなく、p, β, t, z, q, kなどの子音字母が用いられることもありました。
(注7)有情/無情は、有生/無生などとも言われ、有情物は有生物、無情物は無生物とも称されます。ロシア語などのスラブ語学では活動体/不活動体という術語を使うのが慣習です。
(注8)なお、古くは「いる」と「ある」の区別はなく、主体が有情物でも「あり」を用いていました。「いる(ゐる)」は《座る》《座っている》の意で、現代語でも「居眠り」や「いてもたってもいられない」などといった表現がその原義を表しています。今でも和歌山方言などにおいては主体が有情物か無情物かにかかわらず「ある」を使うようです。
(注9)ついでに記しておくと、-에게を「のところ」に相当する要素を補うことなく、「トコロ性」のない体言にも直接付けることができるのは、-에게が通時的に「属格+トコロ+処格」に由来するからです(e.g. 저에게 오세요《私のところに来てください》(lit. 私に来てください))。日本語ではトコロ性のない体言に「…に」を付けて移動動詞の着点などを表す際、当該名詞を必ず「場所化」しなければなりませんが(これは中国語も同じです)、韓国語の-에게は語源的に「トコロ」を含むために、わざわざ場所化する必要はないということです。アイヌ語においては、《家》の意のciseのような体言でも、「…に」「…で」に相当するtaが後続する場合には《…のところ》に概ね相当するorを用いて、cise or taのようにする必要があります。これはciseがどこまでも「家」という概念を表すものであって場所を表すものではないからです。《山》を表す語にはnupuriとkimがあり、nupuriはものとしての「山」、kimは場所としての「山」であるため、《山に》《山で》と言いたいとき、nupuri taとは言えませんが(nupuri or taと言わなければならない)、kim taとは言えます。
(注10)表記の面に着目すると、先行要素が母音終わりであれば사이시옷(間のs)が書かれますが(e.g. 고갯길《坂道》、바닷새《海鳥》)、子音終わりであれば何も書かれません。中世語においては子音終わりの体言に属格助詞-sが付く際にもそれを表記し得ましたので(e.g. hanʌrs《天の》)、これも現代語との大きな違いです。なお、かつての共和国(北朝鮮)の正書法では、가을’비《秋雨》の如く、사이표と呼ばれるアポストロフィによって濃音化を表していたことがありました。사이표は〈n挿入〉を表す場合にも使われました。
(注11)同じような構成要素でも意味によって濃音化発生如何が変わることもあります:e.g. 돌집[돌집]《石造の家》;돌집[돌찝]《石材屋》。また、各構成要素の意味を問題にしなければ、次のような対もあります:e.g. 강바람[강바람]《空っ風》;강바람[강빠람]《川風》、돌다리[돌다리]《石橋》;돌다리[돌따리]《小川にかけた小さな橋》、고기배《魚の腹》;고깃배《漁船》など。
(注12)漢字の説明(釈(새김)+音。日本語の文選読みにも似る)において濃音化が生じないのもこの延長線上で捉えられるように思われます。例えば、읽을 독(讀)は構造的に「未実現連体形+体言」ですので독は[똑]と発音されてもよさそうですが、そうはなりません。これは읽을が動名詞であってかつ同格関係にあるからだと思量されます。伊藤英人(2012)「古代・前期中世朝鮮語における名詞化」(『東京外国語大学論集』85、東京外国語大学)もご参照ください。
(注13)これは日本語の連濁とも酷似しています。日本語の連濁も等位構造では生じません。例えば、「走り書き(はしりがき)」とは言っても、「読み書き」は「よみかき」であって「よみがき」とは言わず、なぜなら「読み」と「書き」が等位構造だからです。
(注14)e.g. 이 회사 사람[싸람]~[사람]《この会社の人》、맨 앞의 사람[싸람]《一番前の人》。後者で濃音化が生じるのは中世語の「処格+-s」の-sが生きているためだと考えられ(中世語の処格助詞のひとつには属格助詞と同形の-’ʌi~-’ɨiがありました)、直訳すると「一番前にの人」となります(伊藤英人(2013)「特集「所有・存在表現」 朝鮮語」『語学研究所論集』18、東京外国語大学語学研究所)。「処格+-s」を含む単語は現代語にも귀엣고리《耳飾り》、귀엣말《耳打ち》、눈엣가시《目の上の瘤》、몸엣것《月経血》、소금엣밥《粗末な食事》、옷엣니《服の虱》、웃음엣소리《笑い話》、한솥엣밥《同じ釜の飯》などがあります。なお、「…にの」という格助詞の連続は日本語では認められませんが、韓国語には現代語でも-에의という形があります(e.g. 철학에의 기여《哲学への寄与》(lit. 哲学にの寄与)ハイデガーの著作)。
(注15)日本語では「太郎の読んだ本」のように連体修飾節の主語が属格で出ることがありますが(ガノ交替)、現代韓国語ではほとんど見られません。中世韓国語においては従属節の主語が属格のみならず、対格で現れる例もありました。従属節中の主語が斜格(主格以外の格)をとるのはアルタイ諸語でよく見られ、言語類型論的にも注目に価する現象です。



