2018年4月号 デュラス文学の新たな映画化
La Douleur
マルグリット・デュラスの小説はこれまで何作も映画化されていて、そのなかには『インディア・ソング』のように、彼女自身がメガホンを握ったものもある。またアラン・レネの『二十四時間の情事』や、ジャン= ジャック・アノーの『愛人/ラマン』は、世界的に成功を収めた。彼女の小説はたやすく映画化できるものではないが、それでも未だに映画化したいと望む監督が後を絶たないようだ。
その最新の例が、デュラスが第二次大戦中にしたためていた『戦争ノート』をもとに85 年に発表した自伝的小説を、Voyages( 「旅」) や Je ne suis pas un salaud(「正しい人間」) で知られるエマニュエル・フィンケルが映画化した、La Douleur(「苦悩」) である。
1944 年6 月、ナチ占領下のフランスで、当時デュラスの夫であり、共にレジスタンス運動に関わっていたロベール・アンテルムが捕らえられる。彼の身を案じるマルグリット(メラニー・ティエリー)の前に、刑事ラビエ(ブノワ・マジメル)が現れ、仲間を密告すれば彼を助けてやるという。礼儀正しく紳士的なラビエは彼女に特別な感情を持っているようだが、どこまで本気なのか、あるいはゲシュタポの協力者でマルグリットの弱みにつけ込もうとしているだけなのかは判然としない。危険とは知りながら、マルグリットもどこかでラビエのことが気になっている。かたやレジスタンス仲間でいずれデュラスの2 人目の夫となるディオニス(バンジャマン・ビオレイ)とも、彼女は友人以上の関係にあり、それでもロベールの身を案じるマルグリットの苦悩は日に日に耐え難いほどになっていく。
あら筋だけでも、いかにもデュラスらしい世界だ。男女の微妙な駆け引き、曖昧な感情、夫と愛人を両立させるヒロイン。それでいて彼女は、夫がいなければ息もできないかのように苦悩を纏う。ディオニスが彼女に問う言葉が印象的だ。「君がこだわっているのはロベールなのか、苦悩そのものなのか?」。まさしく彼女にとっては、もはや苦悩こそが生きる証とすら言えるのだ。観客は映画を観ながら、たとえ夫が戻ってきたとしても、果たして彼女は幸せになれるのか、という疑問を抱くことになるだろう。
フィンケル監督の素晴らしさは、こうしたデュラスの複雑さをみごとに映像で表現しきっていることだ。息詰まるほどにクローズアップを多用しながら、眼差しや表情を映しとることで彼女の自閉的な内面の世界を抽出する。外の出来事は彼女には別世界のようであり、夏の光は眩しすぎ、人々のシルエットは陽炎のようにぼんやりとしか見えない。近年のデュラス文学の映画化作品としては、文句なく出色の出来である。
◇初出=『ふらんす』2018年4月号