羊の仮面をかぶったDV夫の恐ろしさ
今年のカンヌ国際映画祭は、ジュスティーヌ・トリエが映画祭史上3人目の女性監督としてパルムドールを受賞、さらに『TITANE/チタン』のジュリア・デュクルノーに続く2人目のフランス人女性監督の栄誉とあって、ことさらフランスでは盛り上がりを見せた。彼女が受賞スピーチで、すでに可決されたフランスの年金改革について、抗議運動を弾圧したと政府を糾弾し、さらに「フランス政府の文化の商業化」を批判したことがネットで炎上するというおまけまで付いた。その受賞作、Anatomie d’une chute( 「転落のアナトミー」)についてはフランスの公開時に改めて詳しく触れるが、夫殺しの容疑をかけられた妻の裁判をきっかけに夫婦の軋轢が明らかにされる推理ドラマだ。緻密な演出で見応えがあるものの、他の作品をパルムドールに押す声もあった。
今回は、「カンヌ・プレミア」部門に選出され、仏公開3週で動員50万人に迫るヒットを見せているL’Amour et les forêts(「愛と森」)を取り上げたい。エリック・ライナルトのベストセラー小説を、ヴァレリー・ドンゼッリが、現在引っ張りだこのヴィルジニー・エフィラとメルヴィル・プポーを起用し映画化した作品で、脚本にはドンゼッリとともにオードレイ・ディヴァン(『あのこと』の監督)が参加している。
ドンゼッリ監督L’Amour et les forêtsのフランス版ポスター
失恋後、男性に臆病になっていたブランシュが、偶然幼馴染のグレゴワールと再会する。彼の洗練された口説きに彼女はすぐに魅了され、ふたりは結婚。グレゴワールの都合に合わせて、ブランシュの家族から遠く離れた地方に引っ越す。やがて子供が生まれるものの、日に日に偏執的に嫉妬深く、支配的になる夫に彼女は耐えられなくなっていく。
女性のパートナーに対するDVや過失致死が問題になっている昨今、時宜を得た作品で、ドンゼッリ監督の社会的な視点とメッセージが色濃く現れている。ディヴァンの参加の影響もあるのか、女性を支配下に置こうとする男たちの心理に迫る冷徹な描写が印象に残る。とくにグレゴワールがときには自分の非を認めるように見せて、言葉巧みにブランシュを懐柔していく様と、そのペースに乗せられていく彼女の関係は、こうしたカップルがずるずると存在し続ける理由を物語るかのようだ。これまでロマンティックな役柄を演じることの多かったプポーの、徐々に病的な本性を明らかにしていく演技も恐ろしく、何ともやりきれない思いが心にまとわりつく。
◇初出=『ふらんす』2023年8月号