2017年10月号 フランス映画の伝説、逝く
フランス映画の伝説、逝く
闘う女性の象徴だった政治家のシモーヌ・ヴェイユに続き、この夏、またひとりフランスの “grande dame” が長逝した。奇しくもヴェイユ同様、89 歳で生涯を閉じたジャンヌ・モローだ。戦後のフランス映画を代表する女優であり、Lumièreや『ジャンヌ・モローの思春期』では監督とともに脚本も務めた。率直な物言いで知られ、ヴェイユが後に合法化するきっかけとなった妊娠中絶の権利を求める請願書Manifeste des 343 salopes(343 名のあばずれの声明)にも署名している。モローの悲報は各全国紙が1 面で報じ、マクロン大統領をはじめ各界の著名人が追悼の意を表した。
舞台出身のモローを一躍映画界に知らしめた作品といえばルイ・マルの『死刑台のエレベーター』だ。マイルス・デイヴィスの音楽にのって、夜のパリを彷徨うモローを流麗なカメラワークで追ったスタイルは大きな反響を呼び、ヌーヴェル・ヴェーグの引き金となった。続いて世界中を虜にしたのが、フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』。ときにギャルソンのような格好で戯れ、ふたりの男性を翻弄する自由なヒロイン像は、トリュフォーの瑞々しい映画術とともに批評家を驚嘆させた。ルイ・マルの異色西部劇『ビバ!マリア』では、女優業に積極的ではなかった共演者のブリジット・バルドーにやる気をもたらし、たがいに銀幕で火花を散らしあった。バルドーは当時を振り返り、「わたしたちは麗しき友人というわけではかったけれど共犯者だった。いい意味でライバル意識があった」と語っている。
生涯で130 本を超える作品に出演し数々の賞を受賞したが、幼少期は貧しく、レストランを経営していた父親に内緒で演劇を学び、舞台に立ったことがばれると勘当されたという逸話も残っている。ハリウッドでも活躍し、後年はフランソワ・オゾン(『ぼくを葬る』)やイルマル・ラーグ(『クロワッサンで朝食を』)ら若手監督とも積極的に仕事をした。
恋愛遍歴も華麗で、仕事で顔を合わせた男性陣を次々と夢中にさせた。マル、トリュフォー、オーソン・ウェルズ、『夜』で共演したマルチェロ・マストロヤンニなど。マストロヤンニは「彼女はつねに愛を求めていた。やがて時が立つと被害者たちを置き去りにして行ってしまうんだ」と漏らした。モロー自身も、「わたしはギャルソンのように生きたわ。アヴァンチュールも愛人たちも経験して、終わりにしたくなったら立ち去るの」と語っていた。生涯で2 回結婚、離婚を経験したが、最後は自宅でひとり息を引き取ったというのが、独立独歩で最後まで自由を享受した彼女らしい終幕だった気がする。
◇初出=『ふらんす』2017年10月号