2018年6月号 春の話題作あれこれ
フィリップ・ガレルでもアルノー・デプレシャンの映画でもなく、久々にヌーヴェル・ヴァーグの伝統を受け継ぐフランス映画らしい香りを持った新作が現れた。ジャン・ポール・シヴェラックのMes Provinciales(「僕の故郷の人々」)である。シヴェラックは日本ではほとんど知られていないものの、すでに8本長編を制作している中堅の監督だ。その新作はモノクロの映像で、映画学校に通う青春期只中にある学生たちの姿を綴る。彼らが携帯やコンピュータを使っていることを除いては、一見60年代かと見紛うような雰囲気だが、決して古くさいわけではなく、普遍的な魅力に満ちている。
大学で映画を学ぶため、恋人を置いて地方からパリに出たエティエンヌは、新しい友人や魅力的なパリジェンヌたちに囲まれ、刺激的な生活を送る傍ら、自分の才能に疑問を抱き始める。そんなある日、いつも自信に満ちていた友人のひとりが突然自殺してしまう。フェミス(FEMIS=フランス国立映画学校)出身である監督自身の経験や思いが込められたという本作は、夢を抱き、社会に出る一歩手前でさまよう若者の姿がじつに瑞々しく語られ、詩情豊かな気品を感じさせる。
薬物依存症から立ち直ろうとする青年の軌跡を描く、セドリック・カーン4年ぶりの新作La Prière(「祈り」)も、鮮烈で胸を突く。22歳の青年トマは、彼と同じように中毒に苦しむ若者たちが集まる山あいの施設にやってくる。彼らは外の世界との接触を絶たれ、お互いを助け合いながら、神への信仰によって更正を目指す。自らの弱さや誘惑と闘いながら、かといって宗教に没頭することもできないものの、藁にもすがる思いのトマの危うさを、カーンはセンチメンタリズムや宗教礼賛に偏ることなく、冷静な視線で見つめる。本作で初めて主演を務めたトマ役のアントニー・バジョンは、今年2月のベルリン国際映画祭で男優賞を受賞し、脚光を浴びた。
一方、『アデル、ブルーは熱い色』で知られるアブデラティフ・ケシシュ待望の新作Mektoub My Love : Canto Uno(「運命的なわたしの恋:第一の歌」)は、評価が分かれた。この監督らしい2時間55分の長尺は、ひと夏のバカンスを過ごす若い男女の戯れの繰り返しに当てられる。『アデル~』では、肉感的なベッドシーンが美しく撮られていたが、本作ではより生々しく、官能的というよりは野性的。考えるよりもまず熱に浮かされたかのように身体が反応する若者たちの姿を捕らえるカメラは、観る者に覗き見をしているような印象を与えなくもない。監督の「若さに対するオマージュ」に賛同できるか否かで、評価が分かれるだろう。
◇初出=『ふらんす』2018年6月号