普遍的なテーマである、親と子の絆
Gueule d’Ange「天使の顔」
家族というテーマは普遍的で、さまざまな描き方ができるゆえに、映画になりやすいようだ。日本では是枝裕和監督の『万引き家族』が大きな話題になっているが、彼が母親に置き去りにされた子どもたちを描いた旧作、『誰も知らない』を彷彿させるようなフランス映画が公開された。マリオン・コティヤールが男好きのだらしのない母親を演じ、今年のカンヌ映画祭のある視点部門で披露され注目を集めた、Gueule d’Ange(天使の顔)。こちらは母と娘の物語であり、娘の視点から見た母親の姿(とその不在)が描かれる。
8歳の娘エリを連れて再婚したマルレーヌは、結婚パーティの夜に酔った勢いで行きずりの男と関係を持ち、せっかく手に入りかけた安定した生活を台無しにする。娘のことを愛していないわけではないが、自分の面倒も見ることができない彼女に、子育てがまともにできるはずもなかった。エリはそれでも、美しく魅惑的な母親に憧れ、愛されたいと願っている。だが、ある日マルレーヌは新しい男の元に姿を消し、エリはたった一人残される。そんな折、以前母と付き合いのあった男性を遊園地で見かけ……。
母親に見捨てられてもなおかつ、彼女が帰る日を信じて慕い続けるエリの姿が痛ましい。子育てを放棄した親、自活する子ども、孤独な者同士が感情を通わせる擬似父娘の関係、といったテーマを通して、家族のあり方を考えさせる作品だ。もっとも、メッセージを込めた社会派映画というわけではなく、よりキャラクターの感情に寄りそった心理ドラマという方が相応しいかもしれない。
リアルでありながら映像には遊びがあり、ときに娘の心情を反映した幻想的な風景が挿入される。母が娘に化粧をほどこすシーンには、子どものわくわくとした高揚感があふれる。コティヤールのフォトジェニックな魅力も相まって、どこか寓話の世界のようなイメージだ。あるいは季節外れの海水浴場や遊園地、空っぽのプールの、世界から忘れ去られたようなもの哀しい空気には、エリの抱える寂寥感が反映されている。
原案、脚本も手がけた、ヴァネッサ・フィロ監督は、これが長編デビュー作にあたる。聞けば、ジョン・カサヴェテスやクシシュトフ・キェシロフスキ、今村昌平などに傾倒しているとか。エモーショナルな題材を扱いながら、対象と冷静な距離を置き、たしかな演出力を感じさせるところなど、なるほどという印象だ。子どもの演出が巧いという点でも、是枝監督と接点があると言えるだろう。
またひとり、今後の活躍が楽しみな若手映画作家が誕生した。
◇初出=『ふらんす』2018年8月号